老子の言葉をわかりやすくお届けします

跡を残さないで生きろ!

老子は、とにかく“表向きだけの華やかさ”を嫌った人物だったよう。
それは、次に挙げる数々の教えからうかがい知ることができます。

 

「美しい言葉(美辞麗句)よりも、朴訥とした言葉に真実がある」
「大きなことを成し遂げたからと言って、わざとらしく跡を残すべきではない」
「本当に徳がある人は、ことさらにそれをアピールしたりしない」
「形式的な“礼”をとやかく言うのは、忠信の心が薄れたからだ」

 

さて、中でも印象深いのは、
「すぐれた行動をとる人は、動いた跡を残さない」という意味の次の言葉。

 

「善行無轍迹」
善く行くものは轍迹なし)

 

確かに、何か立派なことを成し遂げたとしても、
それをあえて「自分が、自分が」とアピールせずに
しれっとしている人っはスマートだしカッコイイですよね(笑)。

 

行動したとしても、「動いた跡」は残さない。
男子たるもの、かくあるべし!
(男子に限らず、こういう姿勢の女性には“男気”を感じますね)

見かけの華やかさより中身で勝負!

会社であれ地域コミュニティであれ学校であれ、
世の中、実にいろんなタイプの人がいます。
価値観も人それぞれですが、人間関係において大事なことは、
形式的なことよりも“中身”、内面、ココロを重んじること!
それは、老子の次の教えにも表れています。

 

「大丈夫、処其厚、不居其薄、処其実、不居其華」
(大丈夫は、その厚きに処りてその薄きに居らず。
その実に処りてその華に居らず)

 

立派な男子というのは薄っぺらなものに身をゆだねたりしないものだ。
外見上の華やかさに惑わされたりせずに、
しっかりした“実”の上に身をおくものだ…というのです。

 

これは、なにも男子に限った教えではありませんし、
決して、「オシャレをするな」「外見を気にしなくて良い」
ということでもありません。
そうではなくて、例えば自分が何かのプロジェクトで手柄を立てた時、
「それは自分の功績だ」とやたらにアピールしたり、
得意になって鼻に掛けたりすべきではないということ。

 

たとえ自分が華を持つべき立場だったとしても、
「それはもう過ぎたこと」
「結果の一つに過ぎない」
「たたえられるようなことではない」
…と、余裕のあるたたずまいで泰然と構えていなさいよ、というのです。

 

大事なのは、その功績によって得られた栄誉・名声ではなく
成し遂げた“こと”そのものなのですから。

真実の道を究めよ

「立派な男子たるや…」と老子が教えた前項の言葉と関連して、
次の教えもまた、老子らしい考え方です。

 

「大道廃、有仁義。智慧出、有大偽」
(大道廃れて仁義あり。智慧出でて大偽あり)

 

真実の道が衰退して、仁や愛、正義をことさらに強調するようになった。
智慧がはびこるようになって、大きな偽りが生まれた。

 

…ちょっとわかりづらい内容ですよね。
ざっくりと、一言でわかりやすく表現すると、
「仁義だとか愛だとか。そんな形式的なことにこだわっているのは、
本当に大切にすべきものを見失っているからだ」ということ。

 

例えば、最近はどこもかしこも「エコ」を推進していますが、
なんとなく形式的な印象を受けませんか?
本当に自然を大切にして、自然と一体になって過ごしていれば、
あえて「エコ○○」などという表現は使わないでしょう。
形式的な「エコ」にごまかされて、
本質を見失っている活動や商品も少なくないハズです。

 

老子は、「一人前の男子たるもの、見かけ上の“華”ではなく
“実”を大事にしろよ」と教えましたが、
これは実は、現代を生きる私たち全員に向けた警鐘とも捉えられます。

 

何事も、見かけ倒しにならないように!
華の奥にある“真実”を見極める審美眼を持ちたいものです。