老子の言葉をわかりやすくお届けします

老子って天邪鬼だったの?

老子の教えの特徴の一つが、「逆説的」であるということ。
例えば、「柔弱なるものは剛強なるものに勝つ」とか、
「学ぶことを止めればかえってラクになる」とか、
「逆手をとって攻めてみろ」とか「赤ん坊こそ最強の存在だ」とか、
「曲がった木のほうが命を全うできる」とか…。

 

世間一般で「良い」「強い」「優れている」と言われている物事や
価値観に、ザクザクとメスを入れて一蹴しています。
…というと「老子って天邪鬼だったの?」と感じる方もいらっしゃるでしょうね(笑)。

 

確かに、見方次第では、「老子は天邪鬼だった」と捉えられるかもしれません。
わざと人に逆らう言動をして、要するに“つむじまがり”。
当時は、「ひねくれ者!」と思った人もいたかもしれませんし。

 

しかし、現代に目を向ければ、老子の言葉は
社会的に“弱者”と言われる多くの人に
生きる希望と勇気を与えてくれています。

 

“勝ち組”だの“弱者”だのと人を分類し、
就職活動でも婚活でも「自己アピール力が弱い者は生き残れない」
などと脅しめいた言葉に振り回される…。

 

そんな現代の競争社会に生きる私たちにとって、
「弱者こそ最強」という老子の教えは、
「こんな自分でも人生の逆転ホームランを打てるかも」
というかすかな光を感じさせてくれるパワーを秘めているのです。

逆手から攻めてみよ

「天邪鬼」とも捉えられるような、
ちょっと斜に構えた物のとらえ方をしていたとも言える老子。
戦法について説いた教えの中にも、その片鱗が見て取れます。

 

「将欲縮之、必固張之」
(将にこれを縮めんと欲すれば、必ず固くこれを張れ)

 

それを縮めたいと思うのであれば、
まずはそれを思い切り伸ばして張ってみなさい。
…この老子の教えを一言で言うと、要は「逆手で攻めてみなさい」ということ。
いわゆる、「押してダメなら引いてみな」と同じですね(笑)。

 

例えば、ゴムの動きを想像してみるとわかりやすいのではないでしょうか。
ゴムを縮めようと思ったら、まずは思い切り引っ張りますよね。
すると、その反動でバチンッと力強く縮みます。

 

ここから転じて、「戦う時は逆手を取る」と考えてみてください。
相手に強いダメージを与えて弱めようと思うのであれば、
まずは思い切り強くして調子に乗らせておけば良いんです。

 

相手から奪ってやろうと思うのであれば、
まずはこちらから与えて油断させれば良いんです。

 

…このように、老子の戦い方はいわゆる「直球勝負」「正面突破」とは真逆。
手をとって攻めるという、非常にしたたかな戦法なのです。

老子の教えは矛盾している!?

勝とうと思うなら、逆手で攻めろ。
…それが老子の教えです。

 

しかし、そこで大きな疑問が浮かんでくるでしょう。

 

「えっ、老子って、そんな策士だったの!?
だって、“無為自然”がモットーだったんじゃないの!?
自然に任せるのが老子流の戦い方なんじゃないわけ?」

 

ええ、確かに、老子の思想のベースは「無為自然」。
変に裏工作したりせず、あるがまま、自然にまかせよという教えです。
これを踏まえて考えると、確かに、「逆手で勝負しろ」というのは矛盾していますよね。

 

しかし、あくまで老子の教えは「弱者」に向けられたものであることをお忘れなく!
社会的な弱者、つまりなんら権力を持たない立場の人が
この世界で生き残っていくためには、“頭”をつかって
(老子的に言うと)“水のように”しなやかに生きなければいけません。

 

ですから、確かにちょっと矛盾している感は否めないのですが、
「真っ向勝負」ではなく「逆手」で攻めることを教えているわけですね。

 

こうした考え方の“クセ”を受け入れて身にすることもまた、
生きていく上で必要な“柔軟性”の一つと言えるのではないでしょうか。