老子の言葉をわかりやすくお届けします

人の怨みに鈍感になっていませんか?

「なんだかわからないけど、人から恨まれやすい」
「なぜかいつも憎まれ役だ」
…そんな風にお嘆きの方、多いですよね。

 

そういう方は、一度、自らの言動を振り返ってみてください。
知らず知らずのうちに、人を傷つけていませんか?
他人に失敗を寛大に受け入れることができていますか?

 

例えば、大勢の人がいる前で部下を叱責したり。(これはパワハラですね…)
相手が気にしていること(心身のコンプレックスなど)をわざと口にしてからかったり。
些細なミスを、いつまでもいつまでも引きずって、
ことあるごとにチクチクと嫌味を言ったり…。

 

自分では「ちょっとからかっただけ」「愛情表現の一種だよ」と思っていても、
その言動は思わぬ怨みを買っている可能性があります。
老子によれば、人の怨みは、和解したとしても後に引きずるもの。
だからこそ、他者には寛大に接し、
なるべく怨みが生じないようにするのがよろしい…と言うのです。
他者の気持ちに鈍感な方は、今一度、自身の言動を
客観的に振り返ってみると良いでしょう。

人の怨みは後に引きずるもの

「和大怨、必有余怨」
(大怨を和すれば、必ず余怨あり)

 

大きな怨みは、和解したとしても必ず怨みを残してしまうものだ。

 

さらに、老子は、次のような言葉も残しています。

 

「報怨以徳」
(怨みに報ゆるに徳を以てす)

 

怨みに対しては徳をもって報いることだ。

 

この2つの言葉をまとめて解釈すると、
「人の怨み(特に大きな怨み)は後引くもの。
だから、なるべくなら怨みを買うような行動はしないことだ。
しかし、もし怨みを買ってしまったような場合は、
怨みで返すのではなくて、“徳”を持って、
すなわち寛大な心で報いるのがよろしい」
…ということになるでしょう。

 

口が悪くてどうしても他人から怨みを買いやすいという方は、
せめて、もらった怨みを寛大に受け入れられるだけの度量を身につけましょう(笑)。

他者を寛大に受け入れるのが難しい時は…

他人に対して寛大であろう!
他人の欠点やミスには目を瞑ろう!
いつもにこやかな笑顔で人に接しよう!

 

…どう心がけていても、どうしてもできないことってありますよね。
他人の些細なミスにイライラしてしまったり、
ちょっとした言葉に妙につっかかってしまったり。
自分の不注意でもあるのに、他人を責めずにいられなくなってしまったり。
他者に寛大になるというのは、思ったよりも難しいことです。

 

他者を寛大に「受け入れよう」と思っても、それは難しい。
そんな時は、せめて「受け止める」努力を。
すなわち、「ああ、この人はこういう人なんだ」と、
自分の感情から離れた視点で、ちょっと客観的に「眺める」というイメージですね。

 

「相手を丸ごと認めてあげなくちゃ」「受け入れてあげなくちゃ」
と思うから難しいし、苦しくなる。
かえって、相手に対する拒絶心も強くなり、それが態度に表れ、
結果的には怨みを生むことにもなり兼ねません。

 

それなら、受け入れなくても良いと割り切って、
まずは「受け止める」のです。
ボールが来たから、とりあえずキャッチした、という感覚に近いかもしれません。
「スゴイ直球だ!」とか「痛いな」とか、
そんな感想はとりあえず述べず、まずはボールをキャッチすることに集中して!

 

ただ、「ああ、この人はこうなんだ」と客観的事実を自分に認めさせる。
そこに、自分の感想なり感情なりをはさまない努力をすれば
人との付き合いはずっとラクになります。

 

最初は難しいかもしれませんが、トレーニング次第!
「受け入れる」のではなく「受け止める」がキーワードです。