老子の言葉をわかりやすくお届けします

剛毅木訥、仁に近し

剛毅木訥、仁に近し。(『論語』)

真に仁の心にあふれた者は、素朴で無口な者が多い。
口先ばかり達者な者にかぎって本心では何を考えているかわからない。
…という意味です。

 

老子にも似ている思想がありますよね。
例えば「巧言令色鮮なし仁」
「口先のうまい者や見せかけばかりの者にロクな奴はいない」ということです。

 

確かに、身近な人間関係を考えてみても、
口の達者な人に限って、詰めが甘かったりするもの(笑)。
逆に、言葉を選んで話す人ほど、内容が濃く正確なものです。

 

また、「信足らざれば、信ぜられざること有り」という言葉も、
「剛毅木訥…」の言葉にニュアンスが似ています。
これは、「不誠実なおしゃべりばかりしていると、人の信用を失うぞ」
という老子からの戒め。
「口だけは達者だけど中身のない人間」にならないように…!

始めは処女の如く、終わりは脱兎のごとし

始めは処女の如く、終わりは脱兎のごとし。(『孫子』)

 

序盤では弱々しくみせて相手を油断させ、
勝敗を左右する段階になったら攻勢に出て一気に形成を逆転させる。
これが戦いの基本であり、勢いだけで勝負するのは愚かなことだ。

 

…戦術の基本を説いたこの教えと良く似ているのが、老子の次の言葉です。

 

「之をちぢめんと将欲せば、必ず固く之を張れ。
之を弱めんと将欲せば、必ず固くこれを強めよ。
これを廃せんと将欲せば、必ず固く之を興こせ。
之を奪わんと将欲せば、必ず固く之を与えよ」

 

相手を縮めたいと思うのなら、まずは拡張してやれ。
相手を弱めたいと思うのなら、まずは強めてやれ。
相手を取り除いてしまいたいと思うのなら、まずは勢いづけてやれ。
相手を奪い取ってしまいたいと思うなら、まずは与えてやれ。
…つまり、「本気で勝ちたいなら、自分の欲するところの逆をやれ」というのです。

 

正面からぶつかったところで到底勝ち目のない戦いは、まさに頭脳勝負!
ちょっと言い方は悪いですが、
狡猾に立ち回って相手の意表を突くつもりで戦わなければいけません。

犬はよく吠ゆるを以て良とせず

犬はよく吠ゆるを以て良とせず、人はよく話すを以て賢とせず。(『荘子』)

 

吠える犬が良犬というわけではないように、
弁が立つ人間が、必ずしも賢人というわけではない。
…要するに、無能な奴ほど自己主張が強いということですね(苦笑)
実際、会社の中でも、仕事ができない人に限って
権利ばかりを主張しているような…そんな印象がありませんか?

 

老子の言葉でこの教えと似ているのは、
「希言は自然なり。故にひょう風も朝を終えず、驟雨も日を終えず」
でしょう。

 

寡黙であることが自然の姿であり、
だからこそ暴風も朝まで吹き荒れることはないし
豪雨も一日中降り続くことはない。…そんな意味です。

 

荘子が「犬」と「人間」を掛けているのに対して、
老子は「天気」と「人間」を掛けているんですね。

 

いずれにしても、口数が多いのは本来の在り方として好ましいものではない!

聖人は微を見て以て萌を知り、端を見て末を知る。

聖人は微を見て以て萌を知り、端を見て末を知る。(『韓非子』)

 

本当に優れた人物というのは、物事のわずかな変化や違和感を見逃さない。
細部を見ただけで物事の結末を予測してしまうような観察眼を養うことだ。

 

老子もまた、「何事も、小さなことを甘くみるなよ」という戒めの言葉を残しています。

 

「天下の難事は必ず易きよりおこり、
天下の大事は必ず細より作る。」

 

どんなに困難なことも易しいことから起こり、
どんなに大きな問題も些細なことから始まります。
だから、本当に優れた人は、些細なことをないがしろにしない…。
老子も韓非子も、結論は似ていると言えますよね。

 

何事も些細な変化を見逃さず、簡単なうちによく熟慮しておけば、
難事が生じても冷静に対処することができるのです。