老子の言葉をわかりやすくお届けします

軽々しい約束にご注意

頼まれると、どうしても「嫌」とは言えない。
断れない…。
そんなご自身の性格に辟易しているという方も多いことでしょう。

 

無理な約束をすれば自分が苦しむだけだとわかっているのに。
自分の首を絞めるだけだとわかっているのに。

 

それでも軽諾してしまうのは、その心のどこかに

 

「相手に良く思われたい」
「相手に嫌われたくない」
「使えない奴だ、と思われたくない」

 

そのような気持ちが潜んでいるのではないでしょうか。

 

確かに、無理なお願いを聞いてもらえると、人は
「この人、頼りになるな」「ありがたいな」と思うもの。
「コイツ、意外と使えるやつじゃん!」
と、見方や評価が180度変わることだってあり得ます。

 

しかし、もしもその約束を果たせなかったら…。
「なんだよ、できるって言ったくせに」「無理なら最初からそう言えよ」
と、信用を失うことになってしまいますよね。

 

老子もまた、軽諾を戒める言葉を残しています。
軽諾=軽々しい約束をするのは、そもそも誠実さに欠けているから。
実行可能かどうか不確実なことは約束すべきではない、と、
老子は教えていたようです。

安請け合いは信用を失う

「軽諾必寡信」
(軽諾は必ず信寡し)

 

安請け合いは信用を失うものである。
…軽諾の弊害は、まさに老子のこの一言に尽きますよね。

 

相手のために良かれと思って軽々しく交わした約束も、
それが果たされなければただの“嘘”。
老子に言わせれば、

 

「安請け合いをするような人間はそもそも誠実さに欠けているんだ」
「だから信頼が薄いんだぞ」

 

…というわけです。

 

仕事であれプライベートであれ、ついつい
「いいですよ」「できますよ」「了解しました」
…と軽諾してしまいがちな人にとっては耳の痛い言葉ですよね(笑)。

 

しかし老子の言う通りで、
本当に人から信頼されたいと思うのであれば、
それが本当に自分にできることかどうかを熟慮してから返事をすべきなのです。

 

逆に、なんでもかんでも「OKですよ」「わかりました」「まかせてください」
…と軽諾(一見、快諾なのですが…)する人との付き合い方には
注意が必要とも言えるでしょう。

誠実さを大切に

老子が、なぜ軽諾を戒めたのか。
それは、言うまでもなく「信義」「誠実さ」に欠ける行動だからです。

 

…ということは、すなわち、老子もまた「信」というものを
非常に大切にしていたということに他なりません。
それが表れているのが、次の言葉です。

 

「信足らざれば、すなわち信ぜられざることあり」

 

誠実さや信義が足りないと、人から信用されなくなるものだ。
…逆に言えば、人から信用されたいのであれば誠実さを見せるべき。
人に誠実さを示したいのであれば、
軽々しい軽諾なんてすべきではないよ…と、
前項の言葉につながっていく教えです。

 

できるかどうかわからない約束をしなければいけない場面に立たされた時は、
「その瞬間に、相手の目にどう映るか」ではなく、
「自分は本当に相手に誠意を見せることができるかどうか」を
先々に起こり得るかもしれないリスクも見越した上で判断するべきです。

 

ついつい「いいですよ」と軽諾してしまいそうになった時は、
老子の言葉を思い出して冷静になりましょう!