老子の言葉をわかりやすくお届けします

全てが平等っていうのは不平等!?

老子の基本的な思想は、「万物は平等」
特定の人間に都合の良いえこひいきをしたりはしないんだよ、というものです。
(天地は仁あらず、万物を以てスウ狗と為す 老子道徳教 第5章)

 

これだけ聞くと、

 

「え〜、じゃあ、善人も悪人も同じってこと?」
「努力しようがしまいが、結果は同じなの?」

 

それって。。。逆に「不平等なんじゃないの!?
…と思われるかもしれません。

 

その疑問はごもっとも!
誰って、努力したからには報われたいと思いますし、
他者を貶めるような悪事を働いた悪人と、
自分を犠牲にしてまでも他者に奉仕する善人とが
全く同じ扱いを受けるというのは納得がいかない部分もありますよね。
(もっとも、なにをもって悪人として、なにをもって善人と定義するか、
その点も曖昧ではありますが…)

 

老子の思想は、ひねくれている。
老子の思想は不平等だ!
…そんな批判的な捉え方をしてしまう方もいらっしゃるかもしれませんが
その前に、次の言葉にご注目ください。

善人だったら“えこひいき”してもらえるの!?

「和大怨、必有餘怨。安可以爲善。
是以聖人執左契、而不責於人。有徳司契、無徳司徹。
天道無親、常與善人」

 

(大怨を和すれば必ず余怨あり。
いずくんぞもって善となすべけんや。
ここをもって聖人は左契を執りて人に責めず。
有徳は契を司り、無徳は徹を司る。
天道は親なし、常に善人に与す)

 

大きな怨みを和解させても、必ず後々も怨みが残るもの。
これは決して良い事を成したとは言えない。
だからこそ聖人は、御金を貸した借用書を持っていても、
無理に相手から御金を取り立てることをしないのだ。
つまり、徳の有る人間は契約書の紙の管理に関わり、
徳の無い人間は厳しい金銭の取り立てに関わるのだ。

 

天界のやり方とは完全に公平であり、
だからこそ天は常に善人にえこひいきをするのである。

 

…人の怨みは後引くもの。
だから、なるべくなら怨みを買わないのが一番です。
たとえ相手に非があるような場合でも、むやみに責めるべきではない。
金銭の貸し借りがあったとしても、あえて取りたてたりはせず、
貸しを残しておくくらいでちょうどよい。
無理に暴力で取り返そうとするから怨みを買うんだからさ!
天とは完全に公平なものなので、例えば戦争をした場合、
両国を公平に見て、善悪を総合的に判断して、
徳が勝るほうの国家をえこひいきするものなんだ。…と言うのです。

現代の社会に当てはめて考えてみると…

結局のところ、天は、「公平だからえこひいきする」というわけで…。
「なんだか、分かったような、イマイチ納得できないような…」
と、煙に巻かれたような気持ちになっている方も多いのではないでしょうか?

 

(ちょっと強引に解釈すると)結局は、天も善人の味方をするんだということ。
だから、「誰も見ていないから」と道に外れた行動をしてはいかんよ!
徳のある行動をするように心がけなさいよという戒めでしょう。

 

個人の人間関係に当てはめて考えてみると良くわかります。
他人とひどく争えば、どのみち怨みは買いますよね。
無理に和解しようとすると、かえって火に油を注ぐ事態になったりしますので、
流れに任せて静観するほうが穏やかに解決したりするもの。

 

怨みの感情に任せて報復を企てる人もいるかもしれませんが、
逆に、あえて貸しを残したままにしておく人もいます。
どっちが「徳のある行動か?」は天が判断してくれます。
ですから、自分にできることは、自分の良心に照らして
「善人であろう」と心がけて行動することなのでしょうね。

 

そういう意味では、人間は悪人よりも善人が圧倒的に多いのでしょうね。
そうでなければ、人類なんてとっくに絶滅させられているはずではありませんか!?