相反するものにも目を向ける
ともすれば私たちは、
「Aは大きいけどBは小さい」
「Aは長いけどBは短い」
「Aは明るいけどBは暗い」
「Aは美しいけどBは醜い」
…と、固定化した価値観で物事を判断してしまいがちです。
そして、例えば「美しいほうが良い」「醜いものは悪い」
というように、一方的に“否定的”で、
非常に不自由な物のとらえ方をしてしまうのです。
しかし老子によれば、上記のような判断基準は非常に曖昧なもの。
そして、相反する二つのものは互いに相対的で依存し合う関係なのだとか。
つまり、「小があるから大がある」わけですし、
「醜いものがあるから美という概念が存在する」のです。
しかも、物の見え方は、見る人の立場や置かれた状況に左右されます。
ですから、世間でどう評価されていようが、個人によって感じ方は違うはず。
「これはこうだ」と決めつけることなどできないのだから
もっと自由な目線で物事を見たらどうだい?と、老子は教えているのです。
醜があるから美がある
「天下皆知美之為美、斯悪已」
(天下みな美の美たるを知る、これ悪のみ)
世間の人々はみな美しいものを美しいと認めている、
しかしそこから醜悪なものが生まれてくる。
…例えば、手入れがよく行き届いたバラ園のバラは美しいですよね?
それはもう、だれが見ても、美しい花は美しいのです。
しかし、それを絶対的な価値観として固定化してしまうと、
その対極にあるもの、たとえばドブ川の淵に咲く雑草などは
「醜い」と捉えられてしまうかもしれません。
もっと露骨な例を挙げれば、
クラスの中で「誰が見ても完ぺきな美人!」という女子がいたとして、
その女子を“美”の基準にしてしまうと、逆に「クラス一のブス」も生まれてしまう!
このような考え方は「美醜」に留まらず
「善悪」や「強弱」についても言えること。
一般的な価値観に縛られて、美しいもの、善いもの、強いものばかり優遇していると、
本当は価値があるのに世間から認められないものは
社会から排除されてしまうことになってしまいます。
そこで老子は、
「善や美の押しつけから自由になれ」
「そうすればもっと自由に、ラクに生きられるよ」
…と教えているのです。
世間の“常識”から自分を解放しよう
老子が指摘しているように、私たちは知らず知らずのうちに、
世間的な「善」「美」に縛られて物事を判断しています。
もちろん、道徳に外れたことをするのは問題ですが、
例えば、
「結婚したほうが幸せだ」
「正社員で働いたほうが安定している」
「子供がいたほうが幸せだ」
「親は自分で介護すべきだ」
…等々。
誰かにハッキリと諭されたわけではないものの、
なんとなく社会の価値観に縛られて窮屈に感じていることって多いものです。
老子の教えにもあるように、
私たちは、もっと自由であっても良いのではないでしょうか?
そのためには、人生の一つ一つのステージにおいて選択に迷った時、
「自分はなぜAを選ぶのか」、自分自身を納得させられる答えを持つことです。
「なんとなく」「世間的にそういう流れだから」
という理由で人生を進んでいくばかりでは、
大きな失敗もないかもしれませんが、それなりの幸福感しか得られないでしょう。
自由であることには大きな責任は伴いますが、いつか
「これは自分が選んだ人生なんだ」
と、自信を持って人生を振り返ることができるでしょう。
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