老子の言葉をわかりやすくお届けします

落ち込んだ時こそ心にしみる老子の言葉

逆説的な表現で、社会の常識に鋭いメスを入れる。
…それが、老子思想の“持ち味”ではないでしょうか。
人によっては、
「単に天邪鬼だっただけなんじゃないの?」
「ひねくれた人だったんだね」
というとらえ方をしてしまうかもしれませんが…。

 

どうしても、老子の思想を受け入れられない!
と、嫌悪感を示す人がいる一方で、
「精神的に弱っている時に老子の言葉に救われた」という人もいます。

 

中でも、「無」について説いた言葉は、
自分自身の存在意義を見失った時に一筋の希望となること間違いなし!
「無」こそ、「有用」、「有益」の源である。
一見、無意味に見える存在にこそ、「有」の源があるんだよ。

 

…そう教え説く老子の言葉は、
「自分なんてダメな人間だ」
「自分なんて生きていても役に立たない」
と、自分を卑下するモードに入っている時に、明日を生きるパワーをくれます。

“無”こそ“有”なり!

「有之以為利、無之以為用」
(有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり)

 

何かが有ることで利益をもたらすのは、何もない無の働きによるものだ。
この言葉を理解するには、コップでもお皿でも良いので
何か“器”をイメージしてみるとわかりやすいでしょう。

 

器は、そこにからっぽ=“無”のスペースがあるからこそ
役に立つものですよね?“無”がなければ、何も入れられません。

 

老子によれば、これは全てに通ずること。
一見、何もない“無”は役に立たないように思われますが、
実は、その“無”こそが有益な“有”につながるのです。

 

私たちの日常だってこれと同じ。
「こんなこと、やって意味があるのかな」と思うようなことが、
実際は縁の下の力持ちになって全体を支えていたりするもの。
空気だって、目には見えずまるで“無”のようでありながら、
私たち全ての“生”を支えているわけですから…。

この世は“相対的”

「無があるから有がある」という言葉に関連して、
老子は、固定した価値観にとらわれることへの苦言を呈しています。

 

「天下皆知美之為美、斯悪已」
(天下みな美の美たるを知る、これ悪のみ)

 

世間の人々はみな美しいものを美しいと認めている、
しかしそこから醜悪なものが生まれてくる。
「無」があるから「有」があるように、
「美」があれば「醜」があるというわけです。

 

老子によれば、この世には絶対的なものはなく、全てが相対的。
そして、その相反する二つのものはそれぞれが独立して存在するのではなく
互いに相対的で依存し合う関係なのだといいます。

 

「無」も「有」も、「美」も「醜」も、「善」も「悪」も。
どちらが良い・悪いではなく、それぞれに意味があり、
お互いの意味を支えているわけですね。

 

ですから、一般的に「有用だ」と評価されるものや
「形」として目に見えるものだけにとらわれていては
本当に大切なことを見逃してしまうかもしれません。

 

老子は教えています。
何の役にも立たない「無」こそ、「有」の存在を根本から支えているのだと。
有用の用ばかりに目を向けるのではなく、「無用の用」を知るべきだと。

 

サンテグジュペリの『星の王子様』にも出てきますが、
「本当に大切なものは目に見えないんだよ」。
どうか、一番大切なものを見逃さないように!