老子の言葉をわかりやすくお届けします

全ては自然のルールの中で起こっていること

誰でも、自分の努力が報われれば嬉しいものですし、
多かれ少なかれ「自慢したい」という自己顕示欲にも捉われることでしょう。
人から認められたい!
それは、人間であるが故に当然の欲求なのです。

 

しかし、そこで「どうだ〜、俺ってスゲーだろ」とひけらかす人間と、
「いえいえ、私の力なんてたかが知れていますよ」と謙虚になれる人間とでは
人としての“格”が違います!

 

そもそも、成功は本当にあなた自身だけのものなのでしょうか?
家族や周りの人のサポート、タイミング、環境、そして運。
何か一つが欠けているだけでも、その成功は為し得なかったものかもしれません。
そう考えれば、全ては自然の摂理に従って「起こるべくして起こったこと」。
100%あなただけの努力や実力のたまものだ!とは言い切れないのでは?

 

この成功は、自分の力だけで為し得たものではない。
自然の中の大きな流れの中で起こったことであって、
人智を超えたものの力が働いているんだ。
…このように慎み深く捉えられる人は、
自分の功績に胡坐をかいて他者をないがしろにしたりしないものです。

 

老子もまた、個人の成功の根本に「自然の力あり」と教えていたようです。

功成り事遂げて、百姓、皆我自然と謂えり

農業に少しでも携わったことがある方なら、その大変さがお分かりでしょう。
まさに、自然の顔色ひとつで収穫が大きく影響されてしまうわけですから、
育てる人がどれだけ努力しようが、結果は良くも悪くも左右されません。

 

「炎天下の中、熱中症になるまで草むしり頑張ったのに」
「雨の中、風邪を引いてまでシートをかけたのに」

 

…と嘆いても、厳しい自然の元では必ずしも豊作にならないことも多いもの。

 

しかし、プロの百姓というのは、たとえ豊作となった年でも
「自然のおかげ」と言うものだと、老子は言います。
つまり、自然の摂理、すなわち“道”というものをよく心得ているわけですよね。
百姓にとっての豊作は、言い換えればその年の「成功」。
しかしながら、その成功を「自分の努力のたまものだ」とは考えず、
ただただ「ありがたい天の恵みだ」と感謝するだけ…。

 

老子はすなわち、他の分野についても、
百姓のような在り方が理想なんだよと教えているわけです。

「おかげさまで」という謙虚な気持ちが大事

スポーツや文学、芸術の世界で何か賞を受賞した時、会見の場で、

 

「これまで支えてくれた皆さんのおかげです」

 

というコメントをする受賞者をよく見かけますよね。

 

あれこそ、老子の理想とする「お百姓さん」の姿。
たとえ血反吐を吐くような努力の末に成功したとしても、
「それは自然の力です」「周りがそうさせてくれたんです」
と謙虚に受け止められるのが理想だと言うわけです。

 

実際、そういう謙虚な人は、バッシングの対象にもなりにくいですよね。
TVの会見などを見ていると、正直、
「この人、叩かれるのが嫌でこんなしおらしいことを言っているのかな?」
「妬まれるのを避けるために、わざと謙虚にしているのかな」
なんて穿った見方をしてしまうこともありますが…(笑)。
なんだかんだ言って、世間様は、成功しても調子に乗らない人間が好きですからね。

 

しかし、他者の評価など関係なく、心から、

 

「わたしの努力なんてたかが知れてますよ。
全てはみなさんの力のおかげ。
そして、自然の力がもたらした結果なんですよ」

 

…と言えるような、そんな成功者になりたいものですね。