人民は死を恐れない
死刑制度の是非については、日本のみならず世界中で議論されてきましたよね。
「廃止すべきだ」という反対論もあれば、
「このまま維持すべきだ」という存続論もあり…。
みなさんはどちらを支持しますか?
内閣府の調査によれば、日本では、
「死刑を容認」するという人が圧倒的に多いのだそうです。
ちょっと古いデータになってしまいますが、2010年のデータによれば、
死刑容認派は過去最高の85.6%!
「どんな場合でも死刑は廃止すべき」と言う反対派は5.7%のみです。
人が人を裁く。しかも、「死をもって償え」を死刑をつきつける。
これが正しいことなのかどうか、
果たして、同じ“人間”にそんな権利があるのかどうか。
非常にデリケートな問題ですよね
老子は、この死刑の問題についてどう考えていたのでしょうか。
その考え方をうかがい知ることができるのが、次の言葉です。
「民不畏死、?何以死懼之。
若使民常畏死、而爲奇者、吾得執而殺之、孰敢」
(民、死を畏れざれば、いかんぞ死をもってこれをおそれしめん。
もし民をして常に死を畏れしめて、而うして奇をなす者は、
われとらえてこれを殺すを得るも、たれかあえてせん)
民が死を恐れないならば、死刑でもって民を脅かす事はできません。
だって、「死ぬのがこわくない」わけですから…。
死刑は罰でもなんでもないわけです。
ただ、民が死を恐れるような状態、すなわち、
あまりに平和で幸せで、「あ〜、死にたくないなあ」と思っているような状態、
これは話が別です。
そんな幸せな世の中にあっても、それでもなお不正が働く人がいる場合は、
「死刑」を課すことにズ〜ンと意味が出てくるわけです。
不正をした人を捕まえて殺してしまえば、他の人々は、
「あ〜、不正すると殺されちゃうんだ!嫌だよ、死にたくないよ><;」
と、誰も不正をしなくなるだろう。
…老子はそのように考えていたんですね。
死刑は誰にでもできるものではない
「死刑」が意味を成すのは、人々が死を恐れるほどに平和な世の中。
いつ出兵を命ぜられるかわからない、
常に死と隣り合わせの世の中では、死刑制度があっても
全く意味がない…。
確かに、老子の言う通り、
人々が死刑を恐れるのは、「死にたくないから」ですからね。
別にいつ死んでもいいやと思っている社会で死刑を執行しても、
その刑は罰として意味をなさないというわけです。
さらに老子は、次の言葉で
「死刑」を執行することの難しさについても触れています。
「常有司殺者殺。
夫代司殺者殺、是謂代大匠?、
夫代大匠?者、希有不傷其手矣」
(常に司殺者ありて殺す。
それ司殺者に代わりて殺す、
これを大匠に代わりて?ると謂う。
それ大匠に代わりて?る者は、
その手を傷つけざることあるは希まれなり)
死刑は、死を司るもの、すなわち「死刑執行人」が行うものですが、
この死刑執行人に代わって人を処刑するのは、大工を真似て木を削るようなもの。
素人が大工を真似して木を削れば、手を負傷しないことはありえない!というのです。
これはすなわち、誰でも彼でもが死刑を執行して良いわけではない。
人を人が裁くこと、人が人を「死」をもって罰することは、
森で木を伐るごとくに難しいことなんだよ。
ということですね。
ナゼ、死刑容認派が多いの?
老子の言うように、誰でも彼でもが、「死」をもって人を裁いて良いわけではありません。
「アイツに恥をかかされた!倍返しで死刑にしてやる!!」
…こんなことが認められていたら、
世の中は毎日血なまぐさい事件の連続でしょう。
老子は、「死刑」そのものは認めていたのかもしれませんが、
そこには厳然たる「ルール」があるべきであり、
「単なる殺人と一緒くたにして考えるなよ」
ということを伝えたかったのではないでしょうか。
それにしても、なぜ、日本では死刑容認派がこれほどまでに多いのでしょうか?
単純に、「死への恐れが凶悪犯罪の抑止につながる」
そう信じている人が多いということ?
つまり、老子の言う「平和な」世の中である証拠なのでしょうか?
しかし、残念ながら、過去の例を鑑みれば
死刑を廃止した国でも凶悪犯罪の発生率はほとんど変わっていません。
むしろ、「死刑を望んで凶悪犯罪を起こす」というケースすら増えているという現実…。
「自分では死ぬ勇気がないから、悪いことして死刑にしてもらおう」
なんて輩もいますので、死刑自体にはあまり意味がないようにも感じられます。
また、「死」というものに対する「実感」、リアリティが欠けていることも、
「死刑容認派」が増えている原因なのかもしれません。
いつ戦いが起こってもおかしくない、
いつ、自分の、そして自分の大切な人の命が奪われてしまうかわからない。
…そんな状況に身を置いたことがない世代にとっては、
死刑はまさに「対岸の火事」。
老子が言ったように、私たちはそれだけ「平和な」社会に生きている
ということの証なのかもしれませんね。
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