老子の言葉をわかりやすくお届けします

老子の言葉はシンプルだけど難しい!

老子と言えば、「無為自然」という言葉がメジャーですよね。
すなわち、何事においても作為的なこと(わざとらしいこと)はせず、
ありのまま、自然にゆだねておくのが理想的だ…ということです。

 

これだけ聞くと、
「なんだ!老子の教えを実行するのは簡単じゃん!」
と思われるかもしれません。

 

しかし、この「無為自然」というのは、決して「何もしないこと」ではありません。
部下の教育に当てはめて言えば、
何も指導せずに野放しにしておけば良いというのではなく、
「何もしていないように見せかけて、
それでいて相手のチカラを100%発揮できるような指導」
の在り方が理想なわけです。

 

…どうでしょうか。

 

「う〜ん。それって、教育する側が人徳者じゃないと
実行するのは難しいかも…」
と、ハードルが上がってしまったのでは(笑)?

 

この他にも、老子の教えには逆説的なニュアンスが含まれるものが多く、
実行に移すのはなかなか難しいという特徴があります。

老子も自覚していた!

シンプルなようでいて、イザ実行に移そうと思うとなかなか難しい。
それが老子の思想の魅力の一つでもありますね。

 

その点は老子自身もよくわかっていたよう。
いや、むしろそれを狙っていたのかもしれませんね?
読者を翻弄するために、あえて逆説的な表現を使っていたのでは…。

 

「吾言甚易知、甚難行」
(吾が言は甚だ知り易く、甚だ行い難し)

 

私の言う事はどれも単純明快でわかりやすいものばかりだが、
これらを実行に移す人物はほとんどいない。
…これは、老子自身が、自分の教えが実行しにくいものであることを
よ〜くわかっていた証拠ですね。

 

「言っていることはバカでも分かる簡単なことなのに、
なんでみんな実行してくれないのかな〜。みんな、バカ以下なの?」
…と、ちょっと小馬鹿にされているような感も否めませんが…(笑)。

老子思想の「本質」とは

老子は、決して、私たち読者を馬鹿にしているわけではありません。
実行できないのは、私たちの側に原因があります。

 

老子に言わせれば、私たちは、
老子の言葉の「要点」を理解できていないのだとか。

 

「言有宗、事有君。
夫唯無知、是以不我知。
知我者希、則我貴矣。
是以聖人、被褐而懷玉。」

 

(言に宗有り、事に君あり。
それ唯だ知ること無し、ここを以って我れを知らず。
我れを知る者は希なるは、則ち我れ貴し。
ここを以って聖人は、褐を被て玉を懐く)

 

私の言葉や行いには要点があるのだが、人々はそれに気づかないでいる。
だから私の言う事が理解できないのだ。
しかし、それは、それだけ私という存在が貴重という事でもある。
このように「道」を知った聖人は、粗末な衣服を着ていながらも
心の内には大切な宝を抱いている。
その貴さは上辺からは理解できないのだ。 

 

…つまり私たちは、老子の言いたいことの「真理」が何であるかわかっていない。
もしかしたら、分かろうとすらしていないのかもしれません。
なぜなら、私たちには「見た目」の美しさだけで物事を判断してしまうクセがあるから。
美しく咲く花に見とれるばかりで、その下の土に埋もれる真理を、
「泥だらけになりながらも掘り起こしてやろう」という気がないからです。

 

老子の教えを実行しようと思うのであれば、
生活の中に溶け込んでいるあらゆる物事にもっと目を向けることです。
美しい花の根元の土や、
ヘドロだらけの下水の中にこそ、真理は隠されているのかもしれないのですから…。
たとえボロを着ることになったとしても、
真理を見出してそれを実行に移すことができれば、
心は老子の境地に近づくことができるのではないでしょうか。