この世は無常
ともすれば、悪よりも善、醜よりも美が重んじられるのが世の常。
しかし、老子によれば、
「悪があるから善があり、醜があるから美がある」
つまり、物事は全て相対的であって、
しかも様々な条件によって常に変化しているのだといいます。
だからこそ、世間一般の価値観にとらわれ過ぎることは危険!
余計な情報や一般論に惑わされることなく、言葉でよけいな説明を加えることなく、
ただあるがままに、“自然”でいなさい。
そうすれば、世の中の雑音に振り回されずに心穏やかに生きられるよ。
…これが、老子の思想で有名な「無為自然」の考え方です。
あるがまま生きる、「無為自然」な在り方
「聖人処無為之事、行不言之教」
(道にしたがう賢者は、よけいな振る舞いをせず、
言葉に頼らない教えを行うものだ)
老子によれば、「聖人」=道を知って道に従う賢者を意味しています。
「道」とは、「これが道だ!」と説明できるようなものではなく、
形もなければ音もない、何にも依存せず、何にも左右されないもの。
だからこそずっと変わらない、この世の根源のようなものです。
どんな出来事があっても、
言葉で余計な説明を加えて分かったような解釈をしたり、
物事に干渉し過ぎたり、余計な作為をしたりせず、
ただこの“道”に従い、自然体であること。
…老子は、そんな「無為自然」な生き方ができる人こと“賢者”であり、
そういった生き方が理想的だと考えていたようです。
確かに、会社の中を見回してみても、何かことあるごとに
「俺がやったんだぜ」
「俺のおかげなんだぜ」
…といわんばかりのアピールをする人がいる一方で、
手柄を立ててもそれを鼻にかけるでもなく
常に涼しい顔で次の一手を考えている人っていますよね。
結果的には後者のほうがより大きな仕事を成し遂げますし、
なにより人にも慕われます。
ことさらな作為はしないこと!
「道常無為、而無不為」
(道は常に何事もなさないが、それでいて全てを成し遂げている)
老子の教えの根幹を成す「無為自然」という考え方ですが、
これは決して、「何もせずにボケっとしているのが良い」という意味ではありません(笑)。
「無為」=為すこと無しの「為す」とは、“わざとらしい振る舞い”のことです。
これは、政治家を例に挙げると非常に分かりやすいですよ。
例えば、「私が当選したら、こんなことも、あんなことも実現してみせましょう!」
…なんてマニフェストを掲げる政治家は、道に従う賢者ではありません。
老子の言う「無為自然」の理想を実現できるのは、わざわざ言葉で説明しなくても、
「気付いたら人々の生活が穏やかになっていた」
「自然と穏やかな暮らしに導かれていた」
…と、自然に天下を治められる政治家。
そしてそれを、決して自分の手柄になどしたりしない政治家です。
無為自然、物事がおのずと善い方向に導かれるような政治が理想形なのです。
(「政治家=名誉職」という意識が根強い日本では、まだまだ難しいかもしれませんが)
少子高齢化、原発問題、年金問題、領土問題、TPP…と、
国内外で問題が山積している今だからこそ、
無為自然な政治をスマートに成し遂げてくれるような政治家の登場を期待したいですね。
果たして、そんな“できた”政治家が今の日本にいるのかどうかはともかくとして(苦笑)
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