身軽なほうが「幸せ」の閾値が低い?
同じ100万円でも、受け取る人の経済状況によって
その100万円の“価値”は違ってきますよね。
例えば、貯蓄が1億円以上あって、毎月の収入も安定している人。
このような人にとっての100万円は、
「もらえるなら、まあそれなりに嬉しい」というレベル。
どうしても欲しい、喉から手が出るほど欲しい!という金額ではないでしょう。
一方、蓄えどころか毎月の収入さえも安定しない。
食べていくのが精いっぱいという人にとっては、
100万円は夢のような大金!
「これでなんでも買える」という気持ちになる人もいるかもしれません(笑)。
実際、月に100円のお小遣いしかもらえない子供にしてみれば
「100万円」はかなりの大金ですからね。
このように、同じ物を得る場合でも、
元々持っているものが少ない人間のほうが「得る喜び」は大きいですよね。
(あくまでも一般論で、必ずしもそのような価値観ではない方もいるかもしれませんが)
人生、身軽なほうが「幸せ」を実感しやすい、「幸せ」と感じるまでの閾値が低い…
そう言ってしまうのは言い過ぎでしょうか(笑)?
老子もまた、財産ではなく“知識”について、似たようなメッセージを残しています。
求めない生き方のススメ
老子といえば、「足る」を知って多くを求めない
いわば“身軽な生き方”を理想として勧めていた人物。
その教えは、財産などの“物質的”な側面に留まりません。
「少則得、多則惑」
(少なければ則ち得られ、多ければ則ち惑う)
少ししか求めない者は得られるが、
多くを求める者は迷う。
…知識が少ない者は、なにかを決めようとする時の判断材料も少なく、
決断も行動もシンプル。
しかし、知識が多ければ多いほど、何か一つ決める際にも迷ってしまう。
情報Aと情報Bしか知らなければ選択肢は二つですが、
情報CにD、E、F…と得られる情報が多ければ多いだけ、
選択肢も増えて複雑になってしまいますからね。
私たちは、ともすれば「人より多くを知っていること」
「人よりも知識が多く、深いこと」を良しとしている傾向がありますが、
老子が言うように、知識も財産も“適度な量”が大事なのかもしれません。
人生、身軽なほうが選択もシンプルですし、
「幸せ」への近道も見つけやすいのではないでしょうか。
何事も少ないくらいがちょうど良い
最近は、家電一つ買うにしても、情報量が膨大ですよね。
実際、出回っている商品の数も多いのですが、
それに付随する「解説」や「口コミ」の数も尋常ではない量!
その背景には、言うまでもなくネット技術・環境の進歩がありますよね。
しかし、例えば冷蔵庫一台買うだけでも1日がかりで検索…
このような時代が、本当に“効率的”と言えるのでしょうか?
あまりに多すぎる情報量は、人を惑わせ、
世の中を複雑にしているだけなのでは?
と指摘する声もあります。
老子が言うように、知識や情報量が多ければ多いほど、
最良な選択・判断をしようとして、
時間をかけてあれこれ悩んだりすることも増えてくるでしょう。
散々悩んだ挙句に「コレだ!」と思う物が見つかったとしても、
「その商品は欠品です」となれば、心にしこりを残したまま
別の商品を買わざるを得ない羽目になるかもしれません。
これは、「幸せ」と言えるのでしょうか?
もしかしたら、個人も社会も、“身軽”なくらいがちょうど良いのかもしれません。
余計な荷物が増えに増えて、身動きが取れなくなっている状態なのでは…?
なにかにつけて「エコ」が叫ばれている昨今、
今こそ“無駄”を徹底的に省いて、
身軽でシンプルな世の中を目指すべき時なのではないでしょうか。
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