老子の言葉をわかりやすくお届けします

金は天下の回り物

誰だって、お金は、ないよりはあったほうが嬉しいし助かりますよね。
金銭的に余裕があれば、贅沢な食事もできますし、
今までは手の届かなかった憧れのハイブランドの服も手に入ります。
子供に習い事をさせることにも躊躇がなくなり、
学費の工面で頭を悩ませることもなくなるかもしれません。

 

しかし、だからと言って、お金に執着するのは理想的な在り方ではありません。
老子曰く、「財は蓄えずに他人に与えるものだ」と。
すなわち、「あれも」「これも」と自分のためにお金を溜め込んでおくのではなく、
他人のために使ってこそその価値があるものなんだよ、というのです。

 

「金は天下の回り物」とも言われますし、老子の言う通り、
「自分のため」と、がめつく執着しているのは見苦しいことなのかもしれません。
また、「金銭は一つの場所に留まっているものではない」という法則が本当なら、
お金の循環をストップさせてしまうことにもつながり、
お金が流れない→自分のところにも新たに入ってこない…というわけで、
自分自身もまた損をする結果になるのかもしれませんよね。

 

とはいえ、万が一に備えての貯蓄も必要なものですから、
老子の教えの通り、他人のために使うのが良いのかどうかはさておき…。
「お金の流れは、非常に流動的なものである」ということは
常に意識しておいたほうが良いでしょう。
今はお金持ちの人でも、なにかのキッカケに全て失ってしまうかもしれませんし、
今は貧しい人でも、一発大逆転で大金を手にするかもしれません。
それでも、そのお金の流れに執着しないこと。
お金に振り回されて、それだけを基準に人生を変えてしまったりしないことです。
(例えば、宝くじが当たったからと言って仕事を辞めてしまったり…)

「足るを知れ」という教え

老子は、「必要以上に求めること」に関して、
いくつもの戒めの言葉を残しています。

 

すなわち、必要以上に求めるから、人は不幸になるのだと。
身の丈を知って、それに見合うものだけを欲する生活をしていれば、
「欲しいのに手に入らない」という屈辱に悩まされることもないし、
他人を羨むこともなくなる。それが幸せのカタチなのだというわけです。

 

「身の丈を知らないこと」=自分自身をわきまえることを知らないから、
凡人は色んな欲望に振り回されてしまうんだよ、とも解釈できるでしょう。
では、非凡な人はどうなんでしょうか?

 

聖人はため込むことなし、ことごとくもって人のためにして、
己れいよいよ有し、ことごとくもって人に与えて、己れいよいよ多し。

 

賢者は財宝を貯えない。
他人に与えれば与えるほど、彼の財宝は豊かになる
…老子お得意の逆説的ニュアンスが入ったこの言葉、
「なんのこっちゃ?」と思われる方も多いのでは。

 

これは、賢人の逆を考えるとわかりやすいですね。
すなわち、自分のことばかり考えて、強欲で、
それでいて他人に対してはすこぶるケチで
自分ためにしかお金を使わない人間を想像してみてください。
こういうタイプの人と長く付き合いたいと思いますか?
そんなことをしていたら、だんだん人が離れていきませんか??

 

つまり、「求めることばかり」で自分が得することしか考えていない人は、
最終的には他人に見放され、心の貧しい生活をする羽目になるのです。

タロットカードにもこんなストーリーが…

財はため込むものではなく、他人のために使うべきもの。
…老子のこのような教えに通ずるストーリーが、
実はタロットカードの中にも散りばめられています。

 

タロットは、「大アルカナ」22枚+「小アルカナ」56枚の計78枚で構成されています。
そのうち、「小アルカナ」に含まれている「ペンタクル(金貨)」のカードには

 

「手に入れたものに固執して欲張っていると、乞食になるぞ。
だから、他人に与えて奉仕せよ」

 

…とも読み取れる流れが含まれているのです。
(ペンタクル4→ペンタクル5→ペンタクル6)

 

他人に与えれば、それは巡り巡って再び自分に与えられます。
そしてそれを、再び誰かに与える…。
この循環でもって、世の中のエネルギーはバランスをとれているもの。
それがお金であっても、物であっても、行為であっても同じことです。

 

欲しいからこそ、むしろ他人に与えましょう。
そうすれば、それはいつかきっと、もっと必要な時に必要な形で還ってくるはずです。