老子の言葉をわかりやすくお届けします

快楽は身を亡ぼす?

オシャレを楽しみたいし、“ちょっと高くて美味しいもの”も食べたいし、
リッチにお酒を楽しみたいし、
コンサートにも行きたいし、映画も見たい!

 

…私たちは、日々、様々な“欲”を抱えながら生きていますよね。
たやすくかなえられる欲求もあれば、
「お金がなくて」「時間がとれなくて」と、なかなか実現できない望みもあります。

 

しかし老子に言わせると、
「鮮やかな服を着たり、華美な音楽を聞いたり、
美食を貪ったりするのはほどほどにしておけよ。
快楽は心を乱すぞ」

 

老子によれば、美しくあでやかな色彩は人を惑わし、
華美な音楽は耳をダメにし、
手の込んだごちそうは味覚を鈍らせるというのです。

 

快楽にハマると、現状に満足できず
「もっと、もっと」ときりなく求めるようになるぞ、と。

感覚の楽しみに心を奪われない

老子の戒めはごもっともですが、感覚的な“快楽”は
日々を楽しく・充実させる上で
「全く不要なもの」と切り捨てることはできないのではないでしょうか。

 

公私ともに、自分のモチベーションを上げる上で
ある程度の“刺激”“快楽”は必要なのでは?
それが好ましくないというならば、一体、何にエネルギーを傾ければ良いのでしょう。
それを教えているのが、次の言葉です。

 

「聖人、為腹不為目。」
(聖人は、腹を為して目を為さず。)

 

聖人は自分の内なる力を大事にして、感覚の楽しみを追わない。
つまり、自分の外にある娯楽に快楽を求めるのではなく、
自分自身の内側、内面に気持ちを集中させるべし!
自分の内面が充実していれば、
「もっと、もっと」と外側に快楽を求めることもなくなるよ、
と老子は教えています。

 

確かに、本当にセンスが良い人、
「自分に何が似合うか」をわかっている人は、
やたらに華美な服装で自分を飾ることもなければ
ブランド品で身を固めることもありませんよね。
(全身ユニクロでもオシャレに見える人はいます!)

 

純粋に音楽を楽しむことを知っている人は、
わざわざ遠方まで有名な交響楽団の演奏を聴きにいかずとも
子供の歌声の中に幸せを見出すことができます。

 

顔も知らない“誰か”が栽培した有機野菜に高いお金を払うよりも、
自分の庭で今朝採れた野菜のほうが、新鮮で美味しいし経済的!

 

快楽に支配されると、物事を客観的に判断する力が低下し、
「何が本当に良いものか」を
自分の価値観で見極めることができなくなってしまうのです。

“刺激”に疎くなっていないか?

「老子は“快楽”とか“刺激”を求めることを戒めているけれど、
ちょっと美味しいものを食べるくらい、たいしたことないんじゃない?
お酒を飲むくらい、ライブに行くくらい、
ちょっとブランド品を買うくらい…」

 

確かに、楽しいことをする=快楽=刺激と考えるのは、
現代においては大げさすぎるかもしれません。

 

しかし、子育てをしている方なら、
「いかに大人たちがあらゆる“刺激”に慣れっこになっているか」
身をもって実感したことがあるのではないでしょうか。

 

例えば、離乳食用のおかゆを食べてみると、
「なんだこりゃ!」と思うほど味が薄くて、
「ものたりない」「美味しくない」と感じる方も多いでしょう。

 

しかし、赤ちゃんにとっては、それさえも新しい刺激。
母乳以外を知らないわけですから、
最初から塩分の強い食事では刺激が強すぎるのです。
大人と同じ味付けのものを食べられるようになるのは
ずいぶんと後になってからのことです。

 

また、赤ちゃんは、近所のコンビニに連れて行かれただけでも
興奮して夜の眠りが浅くなったりします。
この世に生まれて間もない“ニュートラル”な状態では、
光、色彩、音…この世界のなにもかもが刺激的なのです。

 

老子は、快楽や刺激は心を乱すと教えていましたが、
身の回りのあらゆることに“刺激”を感じなくなっている私たち大人は、
自覚できないレベルですでに心を乱されているのかもしれませんね。