老子の言葉をわかりやすくお届けします

老子が抱いた孤独感

元々は役人だったという老子ですが、
周の衰退を嘆いて旅に出る決意をしたと言われています。
いわゆる、“世捨て人”ですよね。
イメージとしては、ユング心理学でいうところの“老賢人”や
タロットカードの“隠者”に通ずるものがあります。

 

しかし、そんな老子も、自分のことを「愚人(愚か者)だ」と嘆いていたという記述があります。

 

確かに、よく言えば「孤高の哲人」ですが、
言い方を変えれば、ちょっとした変わりモノですからね(笑)。
世間と相入れない価値観を持った自分自身に対して
言いようのない孤独感と憂愁を抱いていたのだとか。

 

逆説的な表現や辛辣な言葉で、バッサリと世の中の一般論を一刀両断する
…そんなイメージが強い老子ですが、
人知れず孤独感にさいなまれていたのだと思うと、ちょっと親近感が湧きますよね。

愚か者のココロ

「我愚人之心也哉、沌沌」
(我は愚人の心なるかな、沌沌たり)

 

世間の人々は、いつもうきうきと楽しそうに見える。
それなのに、自分だけはひっそりと静まりかえり、笑いも知らない赤ん坊のようだ。

 

…そんな意味のこの言葉。
周りの人々は宴会だ〜、観光だ〜ととても楽しそうに過ごしているのに、
自分は愚人(愚か者)の心しかなく、いつもぼんやりしている。私だけが暗い。
他の人々はみんな何かの役に立っているのに、
自分だけは融通もきかず、能もない、役立たずだ〜…と、
自分自身の在り方を嘆いているのです。

 

「らしくない」ですよね(苦笑)

 

しかし、このように、自分自身の心の在り方をありのままに表現できる
その姿勢こそが、ある意味では「無為自然」とも言えるのではないでしょうか。

 

本当は周りの人たちが羨ましいのに、強がりを言って依怙地になったり
「自分だけは超越していているから、世間の人とは一緒にしないでくれ」
なんて上から目線でモノを言ったり…もしも老子がそんな人だったら、
その教えにも説得力がありませんよね。

“道”の導きがあれば他には何もいらない?

自分以外の人が楽しそう見える。
自分だけが愚人(愚か者)で、何の役にも立たない存在に思える。
みんなは明るくて活発なのに、どうして自分だけがこんなに暗いんだろう。

 

…そんな風に思い悩み、その悩みを隠すことなく書に残した老子の姿は、
まさに「あるがまま」の「自然体」!
みなさんだって分かりますよね?
「自分だけがダメ人間だ」と悩む感覚。そして、その時の孤独感…。

 

こういったものをストレートに表現できることが、
ある意味では老子の魅力の一つでもあるのです。

 

老子は、自分自身が「愚人」であること、そしてその孤独感を認めた上で、
「それでも自分には“道”があるから、一人ぼっちでも構わない」と続けています。
例え愚人であろうとも、世間と交わることができなくても、孤独で寂しくても、
道=この世の根源、大いなる“母”に生かされているという現実は確かなこと。
自分はそれだけで十分に幸せなんだよ…と。

 

やや強がっているような感もありますが(笑)、
この境地に達するまで、老子がどれだけ悩み苦しんだかが伝わってくるフレーズです。

 

あれもこれもと多くを求め、一つ手に入ればまたその次が欲しくなる。
確かに、そんなことを繰り返していては永遠に“満足”することはありません。
それならば、いっそ老子のように、「何も求めない生き方」を選ぶほうが
ずっと心豊かに、穏やかに生きられるのかもしれませんね。