根無し草になるべからず
人当りが良く、トークも軽妙。気軽に話しかけやすい。
…人に対してそんな印象を与える人もいれば、逆に
「なんだか重そう。堅そう。話しかけにくい」
そのように思われる人もいますよね。
確かに、気軽に話しかけてもらえるという、その“軽さ”は、
対人関係をスムーズにするエッセンスとも捉えられますし、
その人の“長所”と言っても間違いではないでしょう。
しかし、老子は言います。
軽さは、確かな“根っこ”によって支えられてこそ意味があるものだと。
単に軽いだけの根無し草では、
風に乗ってふらふらとどこかへ流されてしまいます。
それに、根っこのない“軽さ”は、時に人に不快感を与えますし、
信用を失う原因にもなります。
つまり、「気軽」であっても、「軽はずみ」ではいけないということ。
自分自身を支える“根っこ”は確かに地面におきなさいよ、
と、戒めているのです。
軽妙なものを支えている根本は…
「重為軽根、静為躁君」
(重きは軽きの根たり、静かなるは躁がしきの君たり)
重いものが軽いものの根本を支え、静けさは騒々しいものを支配する。
これは、前述した“根っこ”の考え方を発展させた言葉です。
重いものとは、すなわち、どっしりとした根っこ=「人格」という基盤。
これが出来上がっているからこそ、軽い冗談も言えるし、
人に安心感を与えることもできるのだよ、と老子は説いています。
根っこになる人格がない人が軽いジョークを飛ばせば、
それは「軽はずみな言動」として人に不快感を与える可能性があります。
しかし、しっかりとした根っこを持った人が発する冗談は
人を安心させ、時には励ましの言葉としてありがたがられることすらあるでしょう。
たかが軽口、されど軽口。
そこには、その人の人間性が如実に表れるのです。
不用意な言動で辞任に追い込まれた多くの政治家たちには、
ぜひ、この老子の教えを元に自らを省みていただきたいものです。
どっしり構えよ!
人は、周りから親近感を持ってもらおうと思うと
やたらに口数が多くなったり、せこせこと動き回ったりしてしまいがち。
実際、あっけなく辞任に追い込まれる大臣が多いのは、
国民の支持を得ようとしてパフォーマンスが過ぎてしまった
…というのが本音なのでは?
しかし、老子に言わせれば、人々から敬愛されようと思うのであれば、
あえて動き回らないほうが良いのだとか。
むしろ、どっしりと根っこを張って、そこに悠然と構えているべき!
余計な画策をして動き回ったり、美辞麗句を並べたり、
おしゃべりが過ぎたりすれば、かえって信頼を失うし不快感を与えてしまうよ…
と、老子は戒めています。
老子の言葉がイマイチ腹落ちしない!という方は、
野に咲く植物をお手本にすると良いでしょう。
植物は、地面深くに根っこを張っていて、
自分自身があっちへ行ったりこっちへ行ったりと動き回ることはありませんよね。
言葉だって発しません。
それでも、風や虫、人…自然の力を利用して種を運び、
毎年違う場所でしっかり新しい花を咲かせます。
その花だって、言葉を発するわけでもないのに
人々の心を魅了する美しさを秘めていますよね。
まさに、「根っこを張って、どっしりと構える」を実践している存在!
それでいて、人の心を軽くしたり穏やかにしたりできているわけですから、
いわば“お手本”とすべき存在なわけです。
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