老子の言葉をわかりやすくお届けします

何を模範にして生きるべきか

大なり小なり、人は“迷い”を抱えて生きているもの。
「人生で一度も迷うことがなかった」と言って最期を迎えられる人は、
よほど幸せ(なのか、不幸なのか…)な人と言えるのではないでしょうか。

 

さて、人の悩みで多いのが、「どう生きるべきか」
という人間の“根源”に関わる悩みです。
自分は何のために、何を模範にしてどう生きていったら良いものか…。
そんな迷いにさいなまれた時、老子の言葉が一つの道しるべになるでしょう。

 

老子は言っています。
人は、天地自然を手本にして生きていけば良いのだと。
なぜなら、人間もまた、天地自然の一部だからです。
それも、ほんのちっぽけな存在…。

 

そんな取るに足らない存在である人間があれこれ悩んでみても
この自然界は変えられないし、びくともしない。
だからこそ、その偉大なる存在=自然を見よ、と。
自然を手本にして、あるがままに生きよと、老子は教えているのです。

お手本は自然界にある!

「人法地、地法天、天法道、道法自然」
(人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る)

 

人は大地を模範とし、大地は天を模範とし、
天は道を模範とし、道はおのずからあるべき姿に従う。

 

この言葉をそのまま解釈すると、
人は「大地」を模範にして生きれば良いということになります。
大地とは、私たちがまさに今、踏みしめているこの地面のことですよね。

 

老子によれば、この地面は天に、
天は道=万物の根源に従って存在しており、
結果的に人もまた“道”を模範に生きているのだと言うのです。

 

要するに、この世を形作る“源”になっているものに身を任せて
自然(「自ずから然り」)のままに命を養ってまたその次の命につなげていく…
そんな生き方が理想的なんだよ、というわけです。

 

天地自然に従って生きるというのは、一見、簡単そうに見えますが、
現代に生きる私たちにとっては実は非常に難しいこと!
なぜなら、自然に逆らう方向に文明を発展させてきたからです。

 

暗くなったら寝て明るくなったら起きる…というのが
生き物としては自然なあり方かもしれませんが、
人間は“暗くなったら”をカバーするために電気を作りました。

 

年中、食べたい時に食べたい野菜を食べられるように
品種改良が進みましたし、
本来は授かれない命、助けられない命も
医療の発展と共に救えるようになりました。

 

…こういったテクノロジーの恩恵に慣れきっている私たちにとって、
天地自然に従った無為な生き方をするのは非常に難しいことなのです。

全てはつながっている

老子の言うように、人は大地を手本とし、
大地は天を、天は道を…そうやってさかのぼっていくと、
全ては「万物の根源」に行き着きます。

 

それはつまり、この世の全てはつながっているということ。
人も天地自然の一部であり、
そのサークルから逃れることはできないのです。

 

あまりにも便利なものを次々と生み出してきた私たち人間は、
ともすれば「自分たちは特別なんじゃないか」
「神は、人間には特別な力を授けてくれたんじゃないか」
「人間だけは救われるんじゃないか」
「人間は滅びることがないのではないか」
…と、とんでもない錯覚をしてしまいがち。

 

しかし、人間もまた天地自然、神羅万象の一部であり、
特別な存在などではありません。
その本質を見失ってはいけない。
…それこそ、老子が後世の私たちに伝えたかった
最も強いメッセージなのではないでしょうか。