老子の言葉をわかりやすくお届けします

世の中って不公平?

不思議なもので、お金があるところにはお金がさらに集まるもの。
個人の運気で見てみても、
金運がツイている時はどこまでもツイているものですよね(笑)。
逆に、ツイていない時はどこまでもツイてない。。。
旅行どころか、生活費すら不足してしまうくらいです。

 

社会全体を見てみても、金持ちにはさらにお金が集まり、
貧乏人はとことん貧乏。
…そんな風に考えたことはないでしょうか?

 

余るところには余り、不足するところは極限まで不足する。
それを解消するのが政治の役割なのかもしれませんが、
現実社会ではそう簡単な話でもないようです。

 

「なんだか不平等!」
…確かに、お金の流れだけを見ているとそのような憤りを感じるのも
無理もないでしょう。
しかし、老子によれば、「天とはどこまでも公平なもの」であり
特定の人だけにえこひいきをするということはないはずなのです。

 

一つの考え方としては、
「人生は経済的な面ばかりではなく、他の物事も含めて
“トータルで”公平になるように仕向けられている」
…と考えることもできます。

 

すなわち、お金はどれだけあっても、家族にも恵まれず、健康も害していたら、
決して100%幸せとは感じないでしょう。
逆に、お金はないけれど、家族みんな仲が良く、健康で、
金銭面以外はなんの不満もない!という人生もあります。
どちらにも一長一短あり、
これをもって「公平」「平等」と見ることもできるわけです。

天の法則とは?

世の中は、全てをひっくるめて、総合的に
「余り」と「不足」のバランスが取れるようになっている。
…そんな天の法則について説かれているのが、
老子の次の言葉です。

 

「天之道、其猶張弓與。者抑之、下者擧之。
有餘者損之、不足者補之。
天之道、損有餘而補不足。
人之道則不然、損不足以奉有餘。
孰能有餘以奉天下。唯有道者。
是以聖人、爲而不恃、功成而不處、其不欲見賢」

 

(天の道はそれなお弓を張るがごときか。
高き者はこれを抑え、下き者はこれを挙ぐ。
余りある者はこれを損じ、足らざる者はこれを補う。
天の道は余り有るを損じて而して足らざるを補う。
人の道は則ち然らず、足らざるを損じて以って余り有るに奉ず。
孰れか能く余り有りて以って天下に奉ぜん。
唯だ有道の者のみ。ここを以って聖人は、為して而も恃まず、
功成りて而も処らず、それ賢を見わす欲せず)

 

天の法則は、弓に弦を張るときと似ている。
高い所は押さえ込み、低い所は持ち上げる。
弦の長さに余りがあれば短くするし、
弦が短くて足らなければ継ぎ足して補うものだ。

 

天界の方法とは、このように余ったものを減らして、足らないものを補うこと。
しかし、人間が行う方法はそうではなくて、
足らない方を更に減らして、有り余る方に奉納してしまう。

 

どんな人物が、自分の有り余るものを社会の困る人々に奉仕するか?
それを為し得るのは、道徳心を身に付けた者だけだよ。

 

…確かに、
だからこそ聖人は、何かを成し遂げても要求はせず、
大きな功績を上げてもそれに安住はせず、
自分の賢さを他人に見せることを嫌がります。

目に見える余りや不足に惑わされないこと!

「余ったものを減らして、足らないものを補う」
…老子が言うように、これが天の法則。
だとすれば、色々トータルでプラマイ・ゼロになっているのも合点がいきます。

 

一方で、人間界のお金の流れだけに注目してみると、
確かに、不足しているところにはうまくお金が回らず、
余っているところにさらにプラスされていくような流れができているように感じますよね。
目に見えやすいものだからこそ、なおさら不平等感を感じやすい…。

 

しかしそんな時こそ、老子が唱えた天の法則を思い出してください。
一見、不平等に思える世の中でも、
私たちの目には見えない部分で全ては調整されているはずです。
その法則を心得ていれば、むやみに他人を羨むこともありませんし、
自分の置かれた境遇や不足に不平不満を感じることも少なくなっていくことでしょう。

 

目に見えている結果だけに惑わされてはいけません。