老子の言葉をわかりやすくお届けします

兌(あな)とは?

情報の収集源がTVや新聞、雑誌に限られていた時代に比べて、
インターネット、Twitter、Facebook、LINE…と、
常に何らかの情報と“つながっている”ことを強いられる現代社会では、
アンテナを敏感にはりめぐらしていなければ
世の中から取り残されてしまうような不安感さえ覚えます。

 

しかし、必死にかじりついているその情報に、どれだけの意味があるのでしょうか。
それは、自分の人生を豊かにするために本当に必要なものなのでしょうか?

 

老子は言っています。
「兌(あな)を閉じて外界からの刺激を遮断していれば、
一生疲れ果てることはない」と。

 

老子が言う“兌”とは、目や耳、鼻などの感覚器官のことです。
つまり、私たち現代人のように、
ひっきりなしに自分の中に情報を取り込んでいるようでは、いつか疲れ果ててしまうよ
という戒めでもあるわけです。

 

IT社会は、確かに便利である反面、
自分で物事をじっくり考える機会を奪っていることも否定できません。
常に誰かとつながっていられることは、
ある意味では安心な世の中ですが、一方で
「あの人は今頃どうしているかな」「何を考えているかな」
…と、あれこれ思いを巡らす楽しみさえも奪ってしまいました。
(これが、恋愛の醍醐味だったりするのですが…!)

 

遠い場所にいる誰かに想いを寄せて和歌を詠んだり
手紙の返事を今か、今かと何日も待ちわびたり。
そういった“風情”が失われてしまったことは否定できません。

 

老子の教えを参考に、時にはあらゆる兌(あな)を塞ぎ、
あふれる情報から自分自身をシャットダウンしてみることも必要かもしれませんね^^

外界からの刺激を遮断せよ

「塞其兌、閉其門、終身不動」
(その兌を塞ぎ、その門を閉せば、終身勤れず)

 

感覚器官をふさぎ、知識の出入り口を閉じておくなら
一生疲れることはない。
…老子は上記のように説いていますが、
実際のところ、現代社会においてこれを実践するのは難しいのではないでしょうか。

 

なぜなら、外にアンテナを張って
情報を漏らさずキャッチすることが良しとされているから。
就職活動ひとつとって見ても、
社会情勢や企業情報についてのリサーチ力が求められます。
老子の思想からすれば、兌を閉じることが許されない私たちは、
常に疲労困憊状態(笑)。

 

しかも、老子によれば、「外に開いた兌は欲望の出入り口」でもあるといいます。
ですから、兌=感覚器官が開きっぱなしの私たちは、
次へ次へと欲望が生まれ、死ぬまで救われることはないとも解釈できますよね。

 

現代社会においては、自分で意識的に兌を塞ぐことができなければ、
ダラダラと流入する情報に流される人生になってしまいます。
情報=悪ではありませんが、物事には一長一短あることを自覚し、
自分にとって必要な情報とそうでない情報を
取捨選択できるようになることが心穏やかに生きる秘訣なのではないでしょうか。

学ぶことで苦悩が増える?

兌(あな)=感覚器官を塞ぎ、知識の出入り口を閉じておけば
余計な情報や欲望に振り回されて疲れることはなくなる。
『老子』には、他にもこれと似た教えが記されています。

 

「絶学無憂」
(学を絶てば憂い無し)

 

学ぶことをやめてしまえば、思い煩うこともなくなるよ、というのです。
すなわち、私たちがあれこれと思い悩むのは、
余計な知識や知恵があるからなのだと。
そういうものがなければ、悩みもなく過剰な欲望に心乱されることなく
心穏やかに過ごせるんだよ〜
…という、老子らしい、ちょっと“皮肉”っぽい考え方です(笑)。

 

幼い頃から、学ぶこと=勉強することの大切さを教え込まれてきた私たちは
正直、「いまさらそんなことを言われても…」と困ってしまいますよね。

 

しかし、老子が言うように、学ぶことのプレッシャーから自分を解放することで
初めて気付くこと、見えてくることもあるのかもしれません。
いっそ学ぶことをやめてしまう勇気も、人生には必要なのではないでしょうか。