老子の言葉をわかりやすくお届けします

◆前に出ないからこそ立てられる?

「聖人後其身而身先、外其身而身存」
(聖人はその身を後にして而も身は先んじ、
その身を外にして而も身は存す。)

 

どんな人を差して“賢者”と呼ぶのか、その定義は難しいでしょう。
それは、お国柄や時代の“価値観”にも左右されるからです。

 

では、老子はどのような人をもって“賢者”と考えていたのでしょうか。

 

上述の老子の言葉から解釈すれば
「後ろにいるのに前に出て、外にいるのにそこにいる」
そのような人物こそが“賢者”だということになります。
…と言っても、ちょっと抽象的ですよね(笑)。

 

分かりやすく噛み砕いて言うと、
賢者は自分から前に出るということはない。(「しゃしゃり出ない」ということ)
自分を前に立てないので、かえって人から立てられる。
自分というものをなくして、“無私”で物事に当たるので、
かえって周りから重んじられるということです。

 

確かに、会社の中を見回して考えてみても、
「俺が」「私が」と自分の成績をアピールしたがる人は
周りから反発を買いますし、疎まれたり脚を引っ張られたりしがちですよね。

 

一方で、自分の手柄を自分のものともせずグループの功績としたり、
テクニックを惜しむことなくさりげなく人にアドバイスしたりできる人は
人に慕われ立ててもらえるもの。
結果的に良い成績を残していたりしませんか?

 

あえて人の後ろに身を置き、そこでやるべきことはしっかりこなす。
これができてこそ、本当の意味で自分の存在を示すことができるわけです。

賢者は成功に居座らない!

「為而不恃、攻成而弗居」
(為して而も恃まず、攻成りて而も居らず)

 

人間、何かしら大きなことを成し遂げると、
「あれは自分がやったんだよ」「俺ってスゲーだろ」
…とアピールしたくなるものですよね(笑)。

 

しかし、老子によれば、賢者は自分の功績に寄りかかったりしません。
奢ることもなければ、その場に居座ることもありません。
どんな成功も、すでに終わったこと。
過ぎたことには固執しないのが賢者なのです。

 

大きな成功を成し遂げてもそれに頼らない、それに執着しない!
…これ、企業で生き抜いていくためには結構重要な教えですよね(笑)。
過去にすごいヒット商品を開発した社員が、
○年後には窓際に追いやられている…というケースは珍しくありませんからね。

 

物事がうまくいったとしても、それを自分のものだと主張したり、
その地位に固執して居座ったりしないこと。
これが、より高みに、もっと“先へ”行ける賢者の心得というものなのでしょう。

無私無欲のススメ

このように、老子の考える「賢者」とは、
「無私無欲で物事に当たれる人」とイコールと言っても過言ではないでしょう。

 

どれだけの称賛を得ても、どれだけの名声を得ても、
ただ無心に、それまでと変わらないようにストイックに日常を続けていける人。
…言うのは簡単ですが、これって結構難しいことだと思います。

 

IPS細胞で一躍有名になった京都大学の山中教授がノーベル賞を受賞した時、
「まだまだ、研究はこれからが本番。明日からも実験の日々ですよ」
…というような意味のことをおっしゃっていました。

 

IPS細胞が臨床の現場で使われるようになる日が来るまでは
まだまだ“研究の途上”であり、ノーベル賞の受賞はゴールではない。
…この姿勢こそが、老子の言う「無私無欲」に近いのではないでしょうか。
そういう意味では、山中教授の姿は「賢者」と言えるのかもしれません。