無為自然を分かりやすく言いかえると…
老子の思想の根幹を成す考え方、「無為自然」とは、
自然のまま、ありのまま、あるがままに生きること。
「そう言われても、どういうことが“自然”なのかわからない」
…そんな風に戸惑ってしまう方も多いかもしれません。
それならば、「無理しないこと」と考えてみれば分かりやすいでしょう。
背を高く見せようとして無理をしてつま先立ちをしても、
長くは立っていられませんよね?
無理をして断食してダイエットしても、結局はリバウンドしてしまいます。
無理をしてパンパンに仕事を詰め込めば体を壊し、
無理をして嫌いな人と付き合えば笑顔が引きつり、
無理をして笑っていても、心が苦しくなる…。
無理をしても、良い結果には導かれないことは、
老子の言葉を持ち出すまでもなく、
実は私たち自身が身をもってよく知っているハズなのです。
無理をしても、結局はボロが出る
「企者不立、跨者不行」
(企つ者は立たず、跨ぐ者は行かず)
つま先立ちでは長く立っていられませんし、
大股歩きで急いでも長くは歩けない。
…老子がこの言葉で伝えたかったのは、
「無理をして身の丈以上のことをしても、結局はボロが出るよ」ということ。
老子はこれに続けて、さらに、
「自ら見わる者は明らかならず、自ら是とする者は彰われず。
自ら伐る者は攻無く、自ら誇る者は長しからず」
…と説いています。
つまり、自分の知識や才能をアピールする者はかえって認められないし、
自分を正しいとする者は表に立つことができない。
自画自賛する者は成功できないし、自分の才能に驕る者は長続きしないのです。
会社でも、やたらに自分の知識をひけらかしたり、
グループの功績を「自分の実力だ」と勘違いしたりしている人っていますよね。
無理をしたり、自己宣伝が過ぎたり、尊大な態度を取ったり…
こういった行いはすべて、人から嫌がられるだけです。
結果的に、かえって自分自身の評価を下げてしまうことにもなり兼ねません。
誇りは自分の中にあれば良い
無理をせず、ありのままの自分の姿で自然体でいれば良い。
…そう分かっていても、人はどうしても、背伸びせずにはいられません。
誰だって、「デキる人」だと思われたいし、尊敬されたいし、人から好かれたい!
ついつい小さな嘘で自分を飾ってしまったり、無理をしてしまったりして
自分自身の首を絞めてしまいがちです。
しかし、老子によれば、それらは全て、結果的には他人に嫌われるだけ。
余計な食べ物や余計な行い=余食贅行と同様に、人から歓迎はされません。
老子は言っています。
なにも、人からよく見られようと無理をする必要はないのだと。
誇りというものは、人から認められるものではなく、
自分自身の心の中にありさえすれば良いのです。
仕事でもプライベートでも、
「私、ちょっと頑張り過ぎているかな?」…と思ったら、
自分は何のために頑張っているのか、無理はしていないかどうか
自分自身に問いかけてみてください。
もし、称賛欲しさに無理をしてつま先立ちをしているようなら、
ハッキリ言ってそれは意味がない!
「ココゾ」という勝負どころでも、身の程以上の無理などしなくて良いのです。
どうせ無理をしても、長くは続かないのですから…。
それならば、普段の自分らしく、自然体で長〜く頑張れたほうが
結果的には成功につながるのではないでしょうか。
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