老子の言葉をわかりやすくお届けします

老子が守っていた“三宝”

誰にでも、「これだけは譲れない」「これだけは守りたい」
と思える何か、「宝」と呼べるものが一つはあるのではないでしょうか。

 

例えばそれは、家族かもしれませんし、
恋人かもしれない、友達かもしれない、あるいは仕事かもしれません。

 

実は、老子にも「これが自分の宝だ」と呼べるものがあったことをご存知でしょうか。
その“宝=三宝”とは、
「慈しみ」「つつましさ」そして「人々の先頭に立たないこと」.。
老子によれば、慈しみを忘れずにいるからこそ勇敢になれるのであり、
つつましさを忘れずにいるから泰然としていられるのであり、
人の先頭に立とうとしないからリーダーとして立てられるのだとか。

 

この三宝の中でも、とりわけ老子が重んじていたのが「慈しみ」であり、
次のように記しています。

 

「慈をもって戦えば勝利し、慈をもって守れば堅固である。
天もそれを助け、やはり慈によって守ってくれるものだ」

 

老子の言葉には、
「天は無心であり、情けで世の中を動かしているわけではない。
人間だけが特別扱いされているわけではない」
という教えもありますので、ちょっと矛盾しているようにも感じられますが…。

 

我に三宝有り

「我有三宝、持而保之。一日慈、二日倹、三日不敢為天下先」
(我に三宝有り、持してこれを保つ。
一に曰く慈、二に曰く倹、三に曰く敢えて天下の先と為らず)

 

私には三つの宝があり、これを大切にしている。
一つは慈しみ、二つはつつましさ、三つは人々の先頭に立たないことだ。
…このように語る老子にとっての「三宝」。

 

一つ目の「慈しみ」とは、慈愛や思いやり、情けのこと。
親が子を想うような慈愛を持つことができれば、そこには勇気が生まれ、
大切な人を守るために勇敢になることができます。

 

二つ目の「つつましさ」は、控えめであること、そして倹約すること。
「足る」を知って贅沢をせず、倹約し、
控えめに生きていれば心に余裕が生まれるのだと老子は言うのです。

 

そして最後の「人の先頭に立たない」は、
人とはあえて競争せず、争わず、むしろ周囲を引き立てる姿勢を貫くこと。

 

老子は、この3つを自分にとっての「三宝」として、
それを守るように自らに課していたのです。

なぜ先頭に立ってはいけないの?

老子が大切にしていた、人生における“ポリシー”とも言うべき三宝。
その一つが、「先頭に立たない」ということですが…。
一体、なぜ先頭に立つべきではないのでしょうか。
人間、「人の上に立ちたい」と思うのは
自然な感情の流れのように思われますが…?

 

老子によれば、人と争うことをせず、
むしろ人を立てる姿勢を守ることによって、かえって信頼が厚くなり、
リーダーとして立てられるようになるのだとか。
その思想は、次の言葉にもよく表れていますね。

 

「聖人後其身而身先、外其身而身存」
(聖人はその身を後にして而も身は先んじ、
その身を外にして而も身は存す。)

 

後ろにいるのに前に出て、外にいるのにそこにいる。
そのような人物こそが“賢者”と呼ぶにふさわしいというわけです。

 

確かに、公私どちらの場面においても、
「俺が」「私が」としゃしゃり出るタイプの人は
陰口をたたかれることも多いもの。
本当の意味で人から“信頼”を得られるのは、
むしろ、朴訥として寡黙な人ではないでしょうか。

 

自分を前に立てないとは、すなわち、
自分というものをなくして、“無私”で物事に当たることができるということ。
人の後ろに身を置き、そこでやるべきことはしっかりこなしますので、
そういう人には最終的に“結果”もついてくるというわけ!

 

自分の存在を示したいのであれば、「あえて前に出るな!」
という老子の戒めですね。