老子の言葉をわかりやすくお届けします

「命を守ることに優れた人」ってどんな人?

2013年現在、巷では「就活」ならぬ「終活」がブームになっています。
これは、人生を終える“その時”を迎えるための準備活動。
あらかじめ遺影を用意しておいたり、葬式の準備をしておいたり、
墓の手配をしておいたり、遺書を準備したり。

 

「残された家族に迷惑をかけないために」という目的で始める方が多いようですが、
結果的には、「残された人生をどう生きるか」
「“死”とはなにか」「自分は何のために生きているのか」
…自分自身の死生観を問うきっかけにもなるようですね。

 

老子も、その著書の中で死生観について触れている章があります。
彼によれば、
「よく生きながらえる人は十人に三人、ただ死んでいく人が十人に三人、
命を守ろうとして動き回り、かえって死を早めてしまう人が十人に三人」。

 

さらに老子は、
「命を守ることに優れた人は、陸路の旅で獣に襲われることもなく
軍隊でも武器やよろいを手にしない。猛獣の角や爪も、敵兵の刃も、
彼を傷つけようとしてもできない。なぜなら、彼は命に執着することがなく
死への怖れもないからだ」
…と続けています。

 

つまり、「命を守ることに優れた人」は、死を恐れないということ。
死も生もありのままに受け入れる、「無為自然」の人なのです。

 

このように、その死生観にも「無為自然」が生かされているのが
老子の思想の特徴ですね。

死ぬことを恐れない生き方

「出生入死」
(生に出でて死に入る)

 

人はこの世に生まれ出て、死の世界へ入る。
…一見、逆説的な表現ですよが、これが老子の死生観。
老子らしいといえば、老子らしいですよね(笑)。

 

人はみんな、生まれては死んでいきます。
それならなぜ、生まれてくる必要があるのでしょうか。
最初から死ぬことが決まっているのなら、生まれる必要はないのでは?
…古くから、私たち人間はそんな疑問にぶち当たり、考えあぐね、
世界中の哲学者たちがあらゆる死生観を展開してきました。

 

老子の死生観を借りて言うならば、それは、
天地自然の理(自然の摂理)に委ねるしかありません。
人間がああだ、こうだと思いを巡らし、理論づけようとしても
それを言葉で説明するのはおこがましいし難しい。
自然がそうだから、そうなのです。
人はただ、自然のあるがままに任せ、「無為自然」に生きるのが理想の姿。

 

常に、「いつ自分に死が訪れても不思議ではない」と覚悟を決めて、
ことさらに生に執着することなく、その日いちにちを楽しみなさい。
それが、かえって生を長らえることにつながるんだよ。
…と、老子は教えています。

 

生に執着しない!

老子の死生観によれば、
死は誰にでも訪れるものであって、恐れるものではありません。
いつ、誰に“その時”が訪れても不思議ではないので、
とにかく、その日を楽しんで過ごしましょう!と老子は言うのです。

 

それは、「どうせ死ぬんだから、人生なんて諦めろ」
などというネガティブな考え方ではありません。
老子の死生観は、見方によっては非常にポジティブ!
死を怖がって引きこもるのではなく、死をひっくるめて自分の生を肯定し、
「死があるからこそ今が楽しい」と思える境地に至る…それが理想なのです。

 

命に感謝し、あるがまま、無為自然に生きれば死への怖れも消えていく。
そのような老子の死生観は、
現代の「終活」で得られるものにも通ずるものがあるのではないでしょうか。