老子の言葉をわかりやすくお届けします

「無為」の正しい解釈

老子といえば、「無為自然」の思想で知られていますが、
その本当の意味を間違って解釈している方も多いようです。

 

「無為」=なにもしないこと、と捉えがちですが、
老子の言う「無為」とは、「何もしない」ではなく、
「作為的なことをしない」ということです。

 

同時に、「自然」=自ずから然り。
つまり、「作為をせず、あるがままの状態」を重んじていたんですね。

 

しかし、これを実践しようとしても、抽象的で
具体的にどうしたら良いのかよくわかりませんよね?

 

作為的なこと、すなわち、「つくりごと」をせず、
それでいてすべてのことを為している。
これを実現している例として、老子は、
お得意の(笑)、「道」を挙げています。

 

「道は常に無為にして、而も為さざる無し」
道はいつでも何事も為さないでいて、しかも
それでいてすべてのことを為している。

 

…ここでいう「道」とは、万物の根源という意味を持っています。
つまり、万物の根源たるものは、
何もしないようでありながら全てのことを為しているということ。
老子によれば、「道」とは、「形も名前もないもの」です。
その「無いようでいて有るもの」が「万物を作っている」わけですから、
確かに、「何もしないようでいて、全てを成し遂げている」といえます。

会社での一場面

「なんこっちゃ。老子の“無為”ってよくわからないゾ」
…そう思われた方は、会社での場面を想像してみてください。

 

良く言えば「面倒見が良く」、悪く言えば「おせっかいな」上司。
電話の取り方ひとつに対しても、いちいちダメ出しをしてくるような人。
そのような人の元では、伸び伸びと仕事ができませんよね?

 

「またダメ出しされるんじゃないか」「怒られるんじゃないか」
と、顔色ばかりうかがってしまうようになるでしょう。
しかし、その上司自身は
「自分は部下をしっかり管理できている」
「リーダーとしての責務を自分はしっかり果たしている」
と思い込んでいるのです。

 

一方、存在感はあるものの、あまり口うるさく言わないタイプの上司。
部下は、ダメ出しなんて恐れず、自分のオリジナルカラーを出しやすくなります。
上司は、もちろん、最終的なチェックはしますし、
たまに「こうしたらもっと良いんじゃない?」とアドバイスこそくれるものの、
ほとんど部下の仕事に口をはさみません。

 

一見、「この人、いる意味あるのか?」という風にも見えますが…。
実は、「何もしない」ように見えて、
一人一人の力を十分に引き出すことができていますよね。
作為的なことは何もしていないにも関わらず、
つまり、リーダーとしての仕事をしっかり果たしているんです。
ちょっと乱暴な解釈かもしれませんが、これが
老子の言う「無為」に近い形のリーダーです。

家庭での一場面

では、今度は家庭に置き換えて考えてみましょう。

 

「アレもだめ」「コレもダメ」
「こうしたら?」「ああしたら良いんじゃない?」
…常にダメ出しとおせっかいばかりの親の元では、
子供は委縮してしまいます。

 

もちろん、一歩間違えば事故につながるような局面では、
子供の安全を守ってあげるのも親の役目。
「うるさい」と思われても、厳しく叱ることも必要でしょう。

 

しかし、そうでない場面では、できるだけフリーに泳がせておくのがベスト。
新聞紙は食べても美味しくない。
靴下は臭いだけ。
冬場に薄着で出歩けば風邪を引く。
食べ過ぎればお腹が痛くなる…。
余計な干渉は何もしないほうが、子供は自分でイチから学ぶことができます。

 

何もしないように見えて、しっかり子供を見守っている。
何もしないように見えて、知らず知らずに子供は愛情に包まれている。
…そのような状態が理想的な親子関係と言えるのではないでしょうか。

 

それはまるで、意志を持たない「無為な」天が、
この世界に広く恵みの雨をもたらしてくれるように。