老子の言葉をわかりやすくお届けします

「無心」のススメ

「心をからっぽにする」という表現をよく使いますよね。
しかし、コレ、実際にやってみると非常に難しい!
試しに、胡坐をかくor仰向けになって目を閉じ、
「心をからっぽに」してみてください。

 

「何も考えないようにしよう」と思っても、次から次へと
あれやこれやといろんな考えが浮かび、心が暴走を始めてしまいませんか?
例えば…。

 

「なんか暑いな→エアコンの温度設定が高いのかな
→でも、下げるとお金がかかかるし…
→あれ、先月の電気代ってどのくらいだったっけ?→やばいな、今月はどのくらいかな
→電気料金が○○円で、ガスは△▽円くらい?じゃあ、貯金は…
→なんてこった、貯金は無理じゃん!どうしよう、どこかで削らなくちゃ」

 

考えないように、心を空っぽに、心に静寂を…。
そんなことを“思って”いるそばから、どんどん雑念が浮かんできますよね。
「心をからっぽにする」=「無心」=「心の静寂を保つ」ということは、
言葉で言うよりもずっと難易度の高い境地であることがよくわかります。

 

老子は、「心をからっぽにして深い静寂を守るべし」と教えていましたが、
本当に心をからっぽにできた時、そこには一体何が見えてくるのでしょうか。

からっぽの心に見えてくるものとは

「到虚極、守静篤」
(虚を致すこと極まり、静を守ること篤し)

 

徹底して心を空にして、深い静けさをしっかりと守る。
雑念を追い払い、静寂を保っている“からっぽ”の心。
そこに見えてくるものは…、ズバリ、「真理だ」と老子は説いています。

 

その「真理」とはどのようなことかと言うと、
「あらゆるものはさかんに生長していくが、やがて元の場所に戻ってくる」
という「自然の摂理」とも言える“流れ”です。

 

例えば、植物は、生まれて→生い茂って→葉を落とし→
その葉が土に還って→再び生命を育んで…という循環を繰り返していますよね。

 

私たち人間も、おそらくはこの“流れ”と同じ。
「魂」というものが本当に存在しているかどうかはわかりませんが、
生まれて→生きて→死んで→魂になって→再び別の命に宿って生まれる。
この流れを繰り返すことこそが、この世の“真理”なのかもしれません。

全ては“原点”に還っていく?

からっぽで“静寂”の境地にいたった心に見えてくる真理。
老子の言葉を借りると、それは、「全ては“原点”に還っていく」ということでした。

 

実はこれ、ニーチェの「永遠回帰」の考え方によく似ています。
(というよりは、ニーチェの思想が老子思想の影響を受けていたのかもしれません)
ニーチェが提唱した「永遠回帰」とは、
「人生のあらゆるものが、永遠にそっくりそのまま元に戻ってくる」という考え方。

 

良いことも、目を背けたくなるような悪いことも、
全ては巡り巡って再び元に戻ってくる。
それでも、良いことも悪いこともひっくるめてその人生を肯定することができるか?
再び、「この人生“が”良い!」と受け入れることができるか?
…と、ニーチェは著書の中で人々に問いかけていたのです。

 

おそらく、心の中が本当の意味で“静寂”の境地に至っていれば、
人は皆、「YES!」と自分の人生を受け入れられるものなのではないでしょうか。

 

なぜなら、「全ては原点に還る」という循環こそが命の真理であり、
そのループからはどうやっても逃れられないからです。

 

「もっとこうだったら」「ああだったら」
と“たられば”を繰り返してみたところで、人は幸せにはなれません。
だって、今、与えられたものを何度でも繰り返すだけなのですから。
それならば、目の前に与えられた人生を肯定して受け入れるほうが
ずっと建設的ですし、幸せに近づけるハズです。