老子の言葉をわかりやすくお届けします

おしゃべりな人は、真実を知らない

みなさんの周りにも、いわゆる「おしゃべりな人」が一人はいるのではないでしょうか。
場を盛り上げてくれる、緊張を解きほぐしてくれるという長所がある一方で、
「知ったかぶり」ととらえられて信用を失うことも少なくありません。
あまりに口数が多いのも考えものなのです。

 

老子も、「口は慎むべし」と考えていたようで、
おしゃべりを戒める言葉をいくつか残しています。

 

老子によれば、本当に大切なことを知っている人は寡黙であり、多くを語らないのだとか。
ああだこうだとしゃべる人は、単に知識をひけらかしているだけで
真実は知らないのだと。

 

確かに、現代社会を見ても、人前でよくしゃべる人というのは、
最も大切なことを知らなかったり、本質的な知識が抜け落ちていたりで、
肝心な時に何の役にも立たなかったりするもの。
一方で、寡黙な人ほどイザという時にバツグンの“キレ”を見せて
周りを驚かせたりするものです。

 

老子の名言

「知者不言、言者不知」
(知る者は言わず、言う者は知らず)

 

真実を知る人はあれこれしゃべらないし、
しゃべる人は本当のことを知らない。
…老子のこの言葉は、今も昔も人の本質をよく言い表していますよね。

 

実際、自分のことを考えてみても、
「絶対に言ってはいけないこと」「人には知られたくない秘密」「本当に深刻な悩み」
…等を胸に抱えている時は、自ずと寡黙になるものです。
いつもはおしゃべりな人が寡黙だったりすると、
周りは「何かあるのかな」と勘繰ったりしますからね(笑)。

 

老子は、この言葉でもって、
ぺらぺらしゃべって知識をひけらかす行為を戒めているとも解釈できます。

 

老子には、「希言は自然なり(寡黙であることが自然な姿だ)」
と言う名言もあります。
この言葉にも表れているように、本来、人は寡黙こそが自然な姿。
あれこれと言葉を取り繕ってしゃべり過ぎるのは、
自分で自分を良く見せようという虚栄心があるがゆえです。

 

みなさんも、流暢な言葉や美言、饒舌にはご注意ください!

「知る者」とはどのような人か

上述の名言にも出てきた「知者=知る者」とは、
具体的にどのような人物のことを意味するのでしょうか。

 

老子によれば、知る者とは、「道」を体得した人。
「道」とは、この世の根源、万物の母なるものです。
つまり、知る者=何物にもとらわれず、自由で、ありのまま、
自然の摂理に従って生きる術を身につけている人、と言えば分かりやすいでしょうか。

 

知る者は余計なおしゃべりはせず寡黙であり、
自身の才能や智恵を表に出すこともなく、飾らず自然体で世間とまじわります。
ゆえに世間の人々は、その人を親しむことも疎んじることもできず、
尊敬も、軽蔑もせず、ただその存在を尊ぶ。

 

「そんなの、ただの“変わりモノ”なんじゃないの?」
…という意見もあるかもしれませんが、実力がありながら、
それを隠して周りと調和することはそれほど簡単なことではありません。
人は誰しも、多かれ少なかれ「周りからよく見られたい」「評価されたい」という
虚栄心に支配されているものですから…。

 

優れた才能や知恵がありながら、それをことさらアピールすることなく、
あえて“徳”を隠して俗世間と交わる生き方。
それができる人こそ、老子の言う「知る者」というわけです。