老子の言葉をわかりやすくお届けします

赤ん坊はパーフェクトな存在!

赤子は、小さくて体のつくりも脆く、自由に動くこともできなければ、
自分の気持ちを言葉にして伝えることもできません。

 

しかしながら、大人以上の存在感がありますよね。
赤子を連れて歩けば、全くの他人から声をかけられることも多いですし、
ただそこにいるだけで、ただニコッと笑みを浮かべるだけで、
(良くも悪くも)周りの人間の感情を動かすだけの力があります。
なぜか、見て見ぬフリができない圧倒的な存在感を秘めているのです。

 

しかも、1日中泣いていても声が嗄れることもありませんし
その泣き声は周りの大人たちを動かす力を以ています。
守られるべき“弱い”存在でありながら、実は誰よりも強い。

 

老子は、そんな赤子の姿に、“理想の在り方”を見ていたようです。
「柔軟、柔弱、無為、無心、無欲、謙虚、質朴」
これらを全て備えている存在=徳を身につけている
パーフェクトな存在として、赤子を挙げているのです。

不変不滅のエネルギー

「含徳之厚、比於い赤子」
(含徳の厚きは、赤子に比す)

 

深い徳を秘めた人は、まるで赤ん坊のようである。

 

…そう語った老子にとっての理想の姿とは、
「無心で柔弱で、活力に満ちた、不変不滅のエネルギーと調和した存在」。
噛み砕いて言うと、私利私欲にとらわれず、邪心なく自然体で、
常に変わらぬエネルギーに満ちているということ。
老子の言うところの「無為自然」を実践している存在です。
赤子こそ、それを地でやっている存在だよ!というわけです。

 

赤子には、自分を良く見せようなどという虚栄心もありませんし、
何の作為もなく、知ったかぶりをすることもない、
欲望に駆られて自分を見失うこともない…。
老子が言う通り、大人が「そうありたい」と願って
どうあがいても叶えられない理想の姿を体現しているのです。

赤ん坊=理想の姿

赤ん坊に、人としての理想的な姿を重ねていた老子は、
次のような言葉も残しています。

 

「知其雄、守其雌、為天下谿」
(その雄を知りて、その雌を守れば、天下の谿と為る)

 

“天下の谿”、すなわち、
「色々なものが集まってくるくらい低い谷」のような立場を守れる人なら、
聖人として不変の“徳”が備わり、赤ん坊の状態に戻れるだろう
…と、老子は説いています。

 

つまり、人の上に立つことばかり考えるのではなく、
あえて“弱者”と呼ばれる立場に身を置いてみなさい、と。
赤ん坊のように、無心で柔らかな存在に近づきなさい。
そうすることで初めて見えてくることがあるよ、と。

 

赤子を「最強の存在」ととらえていた老子の思想は、
ニーチェの思想(“超人”)にも共通するところがあります。

 

いずれにしても、世間のつまらない常識にとらわれ、
人との比較で自分の人生を嘆いているばかりでは人生を楽しむことはできません。
自らの人生をありのままに受け入れ、
「これで良い」のではなく「これが良い」と言い切れるような心の在り方、
柔軟性を身につけることこが、人生を楽しむためのコツなのです◎

 

生きる意味を見失った時は、赤子をじっくり観察して見ると良いでしょう。
ただ自然の理に従って“生かされている”その姿を眺めていれば、
自分たちが、生きることをいかに複雑に考え過ぎているか思い知らされるでしょう。

 

生きることは、実はとてもシンプルなことなのです。