老子の言葉をわかりやすくお届けします

仏教と老子思想の関係

ご存知の通り、仏教は、インドで生まれて中国→日本へと伝えられました。
…これは、歴史の教科書では常識ですが…。

 

しかし!ちょっと考えてもみてください。
海外から入ってきた思想(宗教)を、「ハイ、素晴らしい!」と
すんなり受け入れられるほど、中国人や日本人は単純な民族でしょうか(笑)?
中国には「中華思想」、日本には「尊王攘夷」に代表されるように、
異文化を拒否して自国の文化を重んじる特性があります。

 

しかし、実際には、仏教はいずれの国でも広く受け入れられていますよね。
その根底には、老子による「道」の思想が根付いていたという背景があったようです。

老子の思想と禅宗

老子の思想と、インド生まれの仏教の思想には、数多くの共通点があります。

 

例えば、「和光同塵」
「実力を隠して周りと調和すること」という意味を含んだ老子の言葉ですが、
「菩薩がその威光を和らげて、塵にまみれた俗世に仮の姿を現して人々を苦から救う」
という仏教的な意味もあるのです。

 

「足るを知る者は富む」
「少なければ則ち得られ、多ければ則ち惑う」
「怨みに報ゆるに徳を以てす」

 

…これらは老子が残した言葉ですが、
仏教にもこれらと同じような教えがあることが知られています。
つまり、思想のベースが似ているんですね。
だからこそ、中国の人々は、さほど抵抗なく
海外から入ってきた“仏教”という新しい宗教を受け入れることができたのでしょう。

 

ちなみに、「無為自然」、ありのまま自然体であることの大切さを説いた老子の教えは、
中国仏教の「禅宗」と密接に結びついていたと言われています。
「禅」とは、一切の執着から解き放たれが“無”の境地を目指す教えです。

禅の根本は老子の思想?

「不立文字」=真理は経典の文言や言葉では伝えられない。
…というのが、禅宗の根本にある教え。
これは、老子が残した
「希言は自然なり(寡黙であることが自然な姿だ)」
と言う言葉に通ずるものがあります。

 

すなわち、禅宗でも老子の教えでも、
「言葉に頼らないこと」「流暢な言葉や美言、饒舌は信用できない」
…ということを説いているわけです。

 

これは、政治家の方々にぜひ肝に銘じて欲しい教えですよね。
選挙の度に、耳触りの良い公約が並んだマニフェストを掲げますが、
信念を持ってそれを実現できている政治家がどれだけいるでしょうか?

 

政治家の仕事がどれだけ大変なのか、
その責任やプレッシャーの重みがどれほどなのか、
確かに我々庶民には想像がつきません。
それでも、口に出して言ったからには、その約束を守っていただきたい!
…そう期待するのは、国民に与えられた当然の権利ではないでしょうか。

 

老子や禅宗の教えに記されているように、
自己宣伝や過度のおしゃべりは自然の姿ではありませんし、
うまい言葉で饒舌に、賢く見せようとしても長くは続きません。
だって、暴風雨だっていつかは止みますから。

 

加えて老子は、「多言なればしばしば窮す」という言葉でも
おしゃべりを戒めています。
政治家のみならず、人の上に立つ方々にはぜひ、
老子や禅宗の教えを手本にして「言葉」の重みに慎重になって欲しいものです。